気持ちはすこし前向きになっているものの、

本人曰く、不調は少しずつキツくなっていると言い続けるので、また新たな治療院を探していると良さげなところを見つけて予約し、先日どきどきしながら初回を終えた。


とても話がうまく、よく聞いてくれる先生で、その日は母もとてもよかったような印象だった。


当日はまたセルフケアとしての簡単な体操を教えてもらい、その動きもとても意味がある、納得のいく動きだと素人にも思えた。


それが、翌日、、、

最高に腰がつらくてきついようで、歩くことが苦痛すぎると、

精神的にも参っていた。。


思い返すとこれは前回も同じパターン。

元気にみえるので、先生はこのくらいできるだろうと考えてくださった運動をして身体が悲鳴をあげる。。


その辛さがどの程度か私にはわからないので、こちらオロオロするばかり。


なんで前回のことを忘れて、運動させてしまったのか、、

自分のうっかりさにあきれるが、

次に気をつけることを心にちかう。


次の予約を取り消して、と先走る母をみて、

新たなところに行ったことを後悔していることが伝わり申し訳ない思いでこちらはもやもや。


なんでも長い目で考えなければいけない、ということは重々わかってはいるけど、自分のことならできるだろう、

目の前の家族が苦しがっているのに、一年後までがまんしろ、とはなかなか言えない、思えない。


それで次々と新たな先生を探してしまうのだ。いろんなものに飛びつくのはたぶん

よくないことなんだろう。

でも全面的になんとかして、というわけではない、何かヒントをいただきたいのだ。


もうすでにいくつかはいただいているが、不調の訴えがとまらない。



だけど、、落ち着いて考えると、その日はそんなにいつもと変わらない、というようにも見えてきた。


理由として、

その1

最悪につらい、といいながらも

1人で駅前に出かけて帰ってきた。


その2

こちら心配で夕飯の時間にようすを見に行くと

ご飯をたいて味噌汁をつくり、トースターで魚を焼いてくれていた。

うちがつくったのに、、と思いながらありがたくいただきましたが


その3

また、食後は友人から電話あり、ベッドに横になって20分は喋っていた。


いつもと同じ。


すごい我慢強いのか

気持ちが弱いだけなのか。


考え方。

これを伝えるのがむずかしい。

本人、自分はわかってると思ってるので余計に難しい。


こちら、こことどうやって向き合っていくかを探りながら、いつかその母の気持ちがわかる日がくるのだろうか。


まだ50代の私には共感することができない。

まだって、、(笑)若くもないいい年だが、80歳といるとまだまだー


でも、いろんな課題があって、毎日が動くのだ。

悩みもありがたく受け入れてまた明日から向き合いたい。

本人が乗り越えて行かなければいけない、私は手を貸すしかできないのだ。

一緒に考えていくことを続けることしかできない。


だけど、今日も母の身体はたくさんのことをこなしてくれている。

不調で何か知らせようとしてくれているのだ。

まずはそのことを忘れてはいけないのだ




その日ではないけど、

不調な日の朝ごはん。

いわし ゆず絞り

雑穀ごはん

スナップえんどうの味噌汁