その日の朝メニュー
干し大根としいたけにんじんの煮ものと落としたまご半分
しじみ粕汁
ぶり塩焼き
雑穀ごはん、のり、うめぼし
無農薬の大根を買えたので、縦四つに割って干してみたが、放置してると表面が黒くなってしまう。
心配になりながらその部分を取り除いて煮ものにしてもらうと、これまたとても美味しくて
二人でにんまり。
なんとも地味だが、趣きのある、というか滋養あふれる甘さだった。
人生半分以上干したものの良さを知らずに生きてきたのがすこしもったいない。
今はしいたけを干している。
またぶりの塩焼きは例のスーパーのもの。
綺麗で小ぶりに処理された切身に対して
「仕事が丁寧で新鮮だ」と
そのスーパーのことを1日一度は褒める80代。
それをパクッと美味しく頂く50代。
今日もごちそうさまでした。
実家に通うようになって、母の昔話は楽しみのひとつとなっている。
元気だった60代の旅行の思い出、母の両親、小さい頃のごはん事情、夫や姑とのあれこれ。。
ほんとうに昔の記憶ははっきりとしていて、怖いくらいに覚えている。
ふと、ご飯の保存用に昔のようなおひつがほしいなーと母に言ってみたら、次のような話がかえってきた。
母の子供時代にはまだ炊飯器もなく、
炊いたごはんはどこのうちでも普通におひつで保存していた。
おひつにも保存期間は限りがあり、よくカビてしまったごはんを、おばあちゃん(母の母)がそこを取り除いて、全体を水で洗っておじやにして食べていたらしい。それがいやでいやで仕方がなかった、という。
今を生きる私は炊飯器より土鍋でご飯をたく方が美味しく、調理もできるだけ電気は使わない。
つぎはおひつが欲しいなーとか単純に思うのだけれど、
そんな苦い思い出がある高齢者が思う炊飯器や冷蔵庫は私の想像以上のものなんだろう。
また、当時は生ゴミもビニール袋などなく、
バケツにためておき、定期的にやってくる収集車に中身を出して、その都度バケツの中を洗っていたと。
今はそんなことは想像もできない。
衛生的だけどプラ問題は深刻だ。
ほんの7-80年ほど昔なだけで、こんなに暮らしは変わるのか、と驚くばかり。
今の生活はありがたいけど、いろんな疑問点も多く、
またその便利さは当たり前ではないこと、少し前の暮らしはどうであったか、それについて知ることがとても興味深い。
私としては今の方が問題なのではと思うが、昔の方が良かったとも全力で言えない。
でも今は便利さばかりが重視されてるのが問題なんだろうな、と思う。
どこかよいバランスのところにいけるといいなと思うだけれど。
