本日の実家メニュー


牛肉といとこんの煮物

れんこんとキクラゲのおかか煮

ゆりねの卵とじ

雑穀プラスむかごご飯

青じそとルッコラ



朝ごはんとは言えない品数、なかなか好調なのか?とひと安心からの1日のスタート。


3つのお鍋の中身をご飯をよそったお皿にワンプレートにせよとのこと。


せめて赤い人参が見えるように盛り付けて撮ればよかった、、反省。


買ってあった野菜が傷んでしまう前にと、

昨日から色々つくったらしく、

やはり料理は大事だな、と改めて思った。


またすべて美味しくいただきました。


さらに結構お鍋に残っていたので、それぞれ母の一人分ずつをのこして、自分の持ち帰り用にタッパーに詰めました

このお弁当セットも地味な見ためを含め、大変よかった。


だけど朝のメニューが体調を表す、とは100パーセントは言い切れないようで、みぞおちの不調はあいかわらず戻ったままらしい。


けど、その不調がありながらごはんをつくる気になれるのは、なんだか少し進んでいる気がする。


なんだかんだ喋りながら歪みの調整や足ツボなどをチェックしてから

本日も最近恒例の、蕎麦屋までのランチ兼トレーニング。


そこでヒットがでました。


そば屋はいつも注文はタブレット、

お茶などはセルフコーナーに入れに行く。


いつもは店にはいって「はーーっ」と大きく息をついて、やっと座れたといわんばかりに嬉しそうに椅子にすわってメニューが決まったら私がお茶を入れに行く、というのがいつもの流れ。


わたしがセルフコーナーに行こうとする前に、

「今日は私がお茶いれにいくわ」

と、自ら席を立ったのだ。


改めて思うと、ここ2、3年で初めてかも?

なんだなんだ?


と驚きながらも、

どうも。と平静を装うムスメ。


あからさまに、「そんな、いつもせーへんことをどうしたん?」

と聞いてしまうといつもしないことが強調されるような気がして

「いつもとちがいます?とくに関心ないですけど?」というフリをしてしまう。


母なりに、具合が悪いという状況に慣れてきたのか、無意識にでも実際すこし楽になっているのか、

どちらにせよ、母の心の余裕が感じられたのが嬉しかった。

しんどい、と叫んでいるばかりではないことがわかって深い安心が得られました。


彼女も私のわからないところでたくさん頑張っている。


だけど、そう簡単には問屋はおろさない。

帰りのウォーキングの途中から表情がなくなってきて、全身かちかちに力がはいりながら歩く帰り道。


今日はよく頑張られました

と心の中で拍手。お疲れさまでした。


ほんの少しずつだけど、前進であることにはまちがいなさそう。


一喜一憂してはだめだけど、感謝の気持ちはいつもより倍増中。

いやいや、いつもの小さなことでも大感謝なのだ。