今日は地味なごはんの報告でなく、新たな家族のことを書こうと思います。
昨年春から、実家でインコをお迎えしました。
母が言い出したのがきっかけながら、小さなインコの存在感が日に日に大きく大事なものになっている。
母の不調は消えたわけではないが、気持ちは少しずつ変わりはじめたかな、と思えることにもびっくりしている。
前向きになった、というよりは、笑うことや冗談を言うことが増えた、と言う感じ。
結果、不調を訴える時間が減る→自律神経が整う→少しずつ楽になる
と言う流れを狙っています。
インコの世話は猫や犬のことを思うととてもシンプルだけど、生き物である以上それなりにお世話が必要である。
夜は決まった時間にカゴに誘導し、布をかけて真っ暗にし、
朝もカゴから出して水をかえ、日中は自由に部屋を移動するたびに落としていくフンを掃除する。
毎日ではないが、カゴの掃除。餌の補充。
以上、終わり。
こんなシンプル作業でも、母はちゃんと毎日きっちりこなしている。カゴ掃除は私の担当だけど。
そのお世話をする、と言う行為はとても需要で、
人間は自分以外のモノのために動くことで自分も幸せを感じることができるのだと、改めて思う。
まあ、どこかしこに落としていくフンの掃除は本人的に大変らしく、初めの頃は結構ブツブツ言っておられたが、最近は慣れて来たようす。
飼い主がしてあげるのはそのくらいなのに、
インコはこちらを信頼してくれるかのようにひょいひょいと飼い主の肩に乗り、手にのり、
時にはなんでもわかってるかのようにこちらをじっと見つめる。
寒いだの、暑いだの、しんどいだの、愚痴っている母へのイヤミは
「どっか痛くても、寒くても暑くても、何にも文句言わへんし
ピコちゃんはほんまにかしこいなあ。」
と笑いを入れながら言える。
いや、でも真剣に人間が一番アホなのだと、インコを見ていると思えてくるのです。
またおしゃべりができることも飼ってみて初めて知った。
初めは母の文句に突っ込んでくれたらなーと思い、
「なんでやねん」
と言う言葉を教えたら、ちゃんと言えるようになった。
だけど、「なんでやねん」はタイミングこそ必要であり、
言って欲しい時には言ってくれず、、。飼い主の見当違いでした。
最近は結局母がいつも話しかける言葉「かしこいなー」と自分の名前を連呼して
自分褒めを続けている。
また、本当のところは母よりも私の方が溺愛しているかもしれない。
子供やペットがいない自分にとって、かなりの環境変化でした。
オキシトシン?と言うのだったか、なんかのホルモンが出ていると思うくらいにピコちゃんが可愛くてしょうがない。
ピコちゃんとるときは自然にほおがゆるむし、元々低い声のトーンが上がっている。
ピコちゃんの話でかなり笑える。
私にもそんな変化があり、母の不調には私も関係していたんだなという気づきまである。
とはいえ、好調は続けども、やはり不調は戻ってくるわけで、ただいま絶賛不調ちゅうの母なのでした。
でも本当に、うちに来てくれてありがとう〜
