指導者の家庭崩壊 | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

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名古屋にあるバッティングスクール「Count23」のブログです。
小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。

コーチの名和です。


今日のコモちゃんのブログ記事、私としても反省することが
たくさんあります。


私は過去に高校野球部のコーチをしていたことがあり、
この時はまさにコモちゃんと同じ家庭の状態でした。


帰りはいつも11時近くで休みは正月に数日のみ。


選手たちは月曜日がオフとなり、故障者は病院に行って治療をし
たり身体を休めたりしますが、ほとんどが自主練をしていました。


選手が自主練をしているとケガなどがあってはいけないので、
コーチの私も立ち会います。


私が豊田大谷高校のコーチに就任したときは、長女が生後6ヶ月
で、育児が大変なときでした。


帰りがいつも11時過ぎなので、妻一人で育児の全てを
やっていました。


私は家に帰ると娘の寝顔を見て寝るだけ。


深夜の授乳も私を起こさないように妻がやってくれ、私は
一度も起きたことがありませんでした。



妻には申し訳なかったです。



そして、次女が生まれるときは学校近くの豊田市の病院に入院させ、
その病院はいつも練習で使っていた市営球場の隣にありました。


出産の日は私は立ち会い出産どころか球場でノックをしていて、
出産は中村監督の奥さんに立ち会っていただいていました。



グランドでノックを打っていたら携帯に監督の奥さんから
「産まれるよ~」と連絡が入り、分娩室に向かいました。



グランドから直行した汚いユニフォーム姿なので
分娩室に入れてもらえず外で待機しました。


産まれたら汚いユニフォームを脱ぎ捨て、Tシャツと
スラパンという姿で乳児を抱いた写真があります。



球場で練習を終えた選手たちが、出産のおめでとうを
言いに次々と病院に来ましたが、
ドロドロのユニフォームだったので病院職員に止められ
病院内に入れませんでした。


こんな状態で無事健康な状態で次女が生まれましたが
長女の時と同じく私は全く世話をすることなく、2人の
娘は育っていきました。


長女は3回くらいおむつを替えた記憶があるのですが、
次女は1回も替えたことないと思います。


ひどいですよね。


妻は離婚とか考えていたのかな・・・


今のところ家庭は安泰だと思っています。


たぶん・・・・