コーチの名和です。
器用な人はそれなりに何でもこなせてしまうが、
器用貧乏という言葉があるように、
「これだけは負けない」という武器を持てずに
終わってしまうことが多い。
不器用な人は何度も失敗するので、試行錯誤を繰り返し
一定のレベルになるまでに時間がかかる。
その中で知識や理論、経験則が蓄積されていくので
一度身に付けば失われることはない。
また、短い勝負であれば器用な人が勝つが、
長期戦になれば不器用な人が勝つ。
(講談社「ノムラの教え」より)
野村監督は自らのことを不器用だと言っていますが、
私も器用な選手ではありませんでした。
高校時代の私は内野手でしたが守備には全く自信がなく、
ゴロのバウンドを合わせるのが下手くそで、
いつもハーフバウンドになってしまい
エラーをよくしていました。
このような選手だったので、監督、コーチからどれだけ
個人ノックをされたでしょうか。
1回の個人ノックは千本ノックどころではなく、
何時間も延々と続き、意識を失いそうになるくらい苦しい
練習でした。
そんな個人ノックを何度も経験し、まあ人並みにはできる
ようになったと思います。
しかし、私には守備がダメでもバッティングという
武器がありました。
バッティングには誰にも負けない自信があり、
それでもいつもバットばかり振っていました。
しかし、バッティングに自信があるといっても
波があるため、1試合でノーヒットという結果では
私の存在価値などなく、監督にとっては私なんかは
使いにくかった選手だったと思います。
全く打てないスランプの時期もあり、そんな時は
手の皮がむけて血まみれになってもバットを振り続け、
血でバットが吹っ飛ぶことが何度もありました。
特に社会人ではDH専門だったので、
打たないことには選手としての勝ちはなく、
簡単に戦力外通告(引退勧告)されます。
そんなことになるのはイヤなので、とにかく毎日、
狂ったようにバットを振っていました。
高校時代の恩師である中村監督の教えは、バットを振り
まくるのと、夜寝るときも布団の中でバットを握って
寝るくらいのことをして、バットを身体の一部に
しろといわれていました。
アマチュアとはいえ社会人野球ではプロ野球で即戦力と
なるような150km/hを出すピッチャーもいます。
そんなピッチャーを打ち崩す技術を身に付けるには、
私のような選手は狂ったようにバットを振って
努力するしかありません。
そんな甲斐あってか、毎年数人が戦力外通告によって
現役引退をしていく中、私が30才近くまで現役を
続けられたのは、野村監督が言う
「長期戦になれば不器用な人が勝つ」
ということなのでしょう。
他人の何倍も血のにじむような努力をし、
結果を出すことができます。
結果を出すことで自信が持てるようになり、これだけは
誰にも負けないという武器になっていくのだと思います。
まずは努力。
それがなければ何も始まりません。
がんばりましょう。