今日は野球には関係ないですが、私の思い出を書きたいと思います。
私には今まで多くのの指導者に付いてきましたが、その中でも特に影響を与えられた指導者が3名います。
まず、この野球の世界にどっぷりとつかるきっかけを作ってくれた中学の野球部の監督である酒井先生です。
野球の厳しさを叩き込んでくれ、私を愛工大名電野球部に進めてくださいました。
2人目の影響を受けた指導者は愛工大名電野球部の中村監督です。
学校での思い出はほとんどありませんが、合宿所で過ごした2年半の生活は鮮明に覚えていて、その時の指導者である中村監督には野球のことから生き方まで、大きな影響を与えられました。
愛工大名電野球部ではまさに野球が生活でした。
中村監督との合宿所での生活は、このブログでも何度も書いています。
3人目の大きな影響を与えられた指導者は、野球の指導者でなく私がサラリーマン時代の会社の上司です。
長慶寺さんという方で、私が野球をやめた後、海外を放浪して帰国して就職するために面接を受けた会社の副社長です。
野球だけしかしたことのない私で、野球選手を引退した後は仕事も辞めて海外放浪するなど、デタラメな経歴を持つ私を採用してくれた方です。
長慶寺さんは当時は副社長だったのですが、中途採用の面接を受けた私の履歴書をたまたま人事部で目にされたそうで、野球一筋の私の珍しい経歴に興味を持って直々に採用してくださいました。
副社長の長慶寺さんの直属の部下として採用され、とにかく厳しく、仕事を叩き込まれ、グランドの中村監督と同レベルくらいに厳しかったです。
その会社は外資系でドイツ資本の日本法人で、社員の学歴や経歴は私とは別世界の人たちばかりでした。
そんな私でしたが、長慶寺さんに厳しく指導され、長慶寺さんの口癖は
「お前を3年後には他の外資系の会社からヘッドハンティングされるように育ててやる!」
というものでした。
長慶寺さん自身も外資系企業のP&Gの営業本部長で、何百名の営業部隊のトップをされていたときにヘッドハンティングされ、そのドイツ資本の企業の副社長に就任されていました。
私はヘッドハンティングなどそこまで考えたことはありませんでしたが、長慶寺さんと厳しい3年間を過ごした後、私は本当にスイスのメーカーから破格の待遇で誘いがかかり、長慶寺さんのすすめもあって移籍しました。
外資系企業では部下がヘッドハンティングされることは、上司としてステイタスらしいです。
その後、長慶寺さんも日本法人の社長になるなど忙しくなり、年に数回お会いするくらいになってしまいました。
その長慶寺さんが昨年の暮れに名古屋に用事で来たからと食事のお誘いをいただきました。
久しぶりにお会いして私の現状報告や長慶寺さんの毎日の生活のお話しを聞いたりしてあっという間に時間が過ぎました。
私にとって両親はもちろんですが酒井先生、中村監督、長慶寺社長の影響がとても大きく、今の私のベースになっているのではと思います。
10年前の長慶寺さんと私です。ここは新宿のバーだと思いますが、とにかく浴びるように酒を飲んでいました。
私はこの3人の恩師は一生忘れません。
私も指導者として、選手たちにどのような影響を与えているのかと、考えるときがあります。
「中学の時、名和コーチと知り合っったことで今の自分がある」
というような影響を与えられるのでしょうか。
まだまだ修行が必要ですね。
がんばります。