コーチの玉川です。
私が愛工大名電野球部の2年生だったとき、先輩であり、
プロ野球で224勝を挙げた工藤さんと高校時代を過ごした
エピソードの連載です。
誰にも忘れられない思い出があると思います。
私も幾つかありますが、今回は工藤さんの壮絶な試合を
ご紹介したいと思います。
甲子園予選の夏の県大会、当時愛知予選の出場校は約230校でした。
愛工大名電野球部(当時は名古屋電気高校)は愛知の頂点に立ち、
工藤さんをエースとして甲子園に出場するのですが、
実は工藤さんにとって、愛工大名電にとっても非常に重要な出来事が
この県予選でありました。
ひょっとすると工藤さんにとっては、甲子園、その後のプロ野球、
そして名電でいえば、その後の山崎武司やイチローが登場するか
しなかったのかを左右する試合がありました。
私もこの大会には2年生ながら背番号17番でベンチ入りしていました。
それは県大会の五回戦、相手は私学4強の一角、東邦高校でした。
試合は息詰まる投手戦でした。
0対0の4回表先頭バッターは3番工藤さんからでした。
あのシーンは今でも鮮明に覚えています。
東邦高校のエースピッチャーが投げた渾身のストレートがすっぽぬけ、
打ち気満々で踏み込んでいった工藤さんの顔面を直撃したのです。
ヘルメットはすっ飛び、工藤さんはその場に倒れこみました。
私達高校球児に取ってデッドボールはつきものでしたので、
それに当たっても平気な所と危険な所は心得ており、
とっさに身を守るすべを知っていました。
ですが、この時の工藤さんのデッドボールは、ただ事では
ありませんでした。
私達ベンチ入りメンバーをはじめ、それまで両校の応援や観客の歓声
などでわき上がっていた球場全体も、一瞬シーンと静まりかえり、
息を呑んでいました。
直ぐにベンチにいた先輩方が駆け寄り、工藤さんを
ベンチまで担ぎ込みました。
顔にはタオルを被せてありましが、壮絶だったのはユニフォームでした。
真っ白なユニフォームにムラサキのマークのMEIDENユニフォームが、
真っ赤な血が大量に飛び散っていました。
デッドボールの衝撃を物語っていました。
私達チームにとっては、はもちろん試合は大切ですが、
それよりも工藤さんの身体が心配でした。
それほど壮絶なデッドボールでした。
工藤さんがベンチ裏に消えて行った時、死球を当てた東邦高校の
選手に対して、名電応援団と球場内の観客により球場は
罵声の嵐でした。
両校の応援団においては、今にも喧嘩が始まりそうな一触即発の
異様な雰囲気でした・・・・
球場の外では、救急車が駆けつけたサイレンの音も聞こえたので、
直ぐに工藤さんは救急車で病院に行くんだと
全ての人が思っていました。・・・
しかし、プロ野球界で29年間活躍し、224勝を挙げた炎の男、
工藤さんが取った行動とは・・・
次回に続く・・・