コーチの名和です。
今日も所用で甲子園には行けませんでしたが、テレビでしっかり集中して
観戦しました。
とても良い試合でしたが、愛工大名電野球部は負けてしまい大変残念
でした。
光星学院もとても良いチームで、愛工大名電は力及ばずという感じです。
両チームともミスはほとんどなく、力と力の勝負で、愛工大名電は
チャンスで1本が出ず、勝ち越しても突き放すことができませんでした。
以前ほどバントは多くありませんでしたが、ランナーが出たときなどは、
さすがと思わせるバントで進塁させていました。
倉野監督になってバントの数がかなり多くなりましたが、光星学院は
バッティングに自信があるのか、強攻が目立ちました。
私たちの頃の愛工大名電野球は、
「とにかく打て」
「打って力でねじ伏せろ」
という野球だったので、相手ピッチャーによっては、かなりの波がある
試合でした。
昔の愛工大名電は軟投派に弱く、初戦の宮嵜との試合で負けていたん
じゃないかと思います。
アンダースローや左ののらりくらりの変化球ピッチャーなんかに
弱かったのですが、140km/hくらいの本格派投手には
めっぽう強いというのが特徴でした。
そして、当時の中村監督は
「一降りで決めろ!!」
というのが口癖で、きわどい球へのカットなどは許されず、
シートバッティングでもファールを打った時点で、ライトポールまで
ダッシュのペナルティでした。
このような練習とチームの雰囲気だったので、1球に集中することが
必要でした。
愛工大名電にはまだ夏があります。
今年は名古屋電気学園の100周年記念なので、夏は優勝して
もらいたいと思います。
それにしても、甲子園球場で紫のユニフォームが躍動する姿はいいですね。
私たちの頃のユニフォームは、胸のMEIDENの筆記体のマークは
シルバーの糸で縁取りがしてあり、ユニフォーム自体も
プロ仕様のプレミアムなものでしたが、
シルバーの部分が派手だと高野連から指摘されたらしく、
ワンシーズンでお蔵入りとなりました。
愛工大名電野球部OBにとっては、ムラサキは
スピリッツカラーになっていて、
ムラサキの車に乗っているOBもいます。
多感な時期に強烈な思い出が残る3年間だったので、
だれもが一生忘れられない思い出となっているはずです。
夏は優勝目指してがんばれ。
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