30年ぶりに・・・ | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

名古屋にあるバッティングスクール「Count23」のブログです。
小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。




コーチの名和です。



2月21日のブログに書きましたように、

昨日は私の中学時代の恩師と食事をしてきました。



楽しい時間を過ごし、食事をごちそうになった上に

家族にと、おみやげまでいただいてしまいました。




30年ぶりにお会いした先生は、その当時と全く

お変わりなくお元気でした。




「まだノックは打てるし、ピッチャーだってできる!」



とおっしゃっていました。





酒井先生の教え子で、私学4強の高校に入学したのは

私を含めて3人だそうで、一人は私の先輩です。



愛工大名電で工藤さんと甲子園に出場したときの

ショートでキャプテンをされていた中村稔さんです。




ドラフト3位で日ハムに入団し、現在はパ・リーグの

審判副部長をされています。




もう一人は、私の10才くらい下の後輩になるのですが、

東邦高校に入学し、今は子供さんを当スクールの

みどり教室で練習させています。




その他の先輩や後輩の話、私が卒業してからの教師生活の

お話など、6時から食事を始めたのですが、気がついたら

10時になっていました。




あっという間に時間が過ぎた楽しい時間でした。




私は中学時代に子供ながらに「こんなことしていいのか?」

と思うようなシゴキを(?)を酒井先生にはされていたわけですが、

それがなければ、愛工大名電野球部の厳しさに耐えられなかった

と思います。




私が愛工大名電の合宿所に入る前夜、酒井先生は私の家に

来てくださって、食事を一緒にしました。




その時、私のギターを弾いて歌ってくださったことが

思い出に残っていて、そのお話をしたら先生は食事を

したことは覚えていらっしゃったようですが、その他のことは

すっかり忘れていらっしゃるようでした。




翌日から厳しい世界に飛び込む私を応援に来てくださった夜を

私は今でも忘れていません。




私にとっては愛工大名電の中村監督と同じくらいの恩師であり、

感謝しています。




中学時代に先生にはめちゃくちゃにいろいろされていましたが、

私も子を持つ親になってみると、それが愛情というのが

よくわかります。




中村監督にも高校時代はよく説教されましたが、

できが悪かった私は、それらの意味がわかるようになったのは

25歳前後だったと思います。




その頃には急に高校時代や中村監督に会いたくなり、

グラウンドに頻繁に行くようになった記憶があります。





卒業生の中には、監督に進学や就職の世話をしてもらながら、

中途半端にやめてしまい、「監督に会わす顔がないと」

会うことを躊躇している者もいますが、どんな卒業生でも

大歓迎してくれるはずです。





私も、本来は監督の前に顔を出せるようなことをしていません

でしたが、図々しい私はへっちゃらで監督のところに

遊びに行っていました。





昨日の玉川コーチ(私の名電の先輩)のブログにもありましたが、

私は無期停学を食らった高校時代は前科者です。





昨日、それを酒井先生にカミングアウトしましたが、先生は

笑っていました。




私は15年前に病気で父を亡くしており、中村監督や

酒井先生は私の父親のような存在です。




このような方に応援していただいている私は、本当に

幸せ者だと思います。




酒井先生も中村監督もいつまでもお元気に長生きして

いただきたいと思います。




このブログを読んでくださっている方も、一度、恩師を

訪ねてみてください。



きっと喜んでくださると思います。





昨日、同席した野球部の同級生が言っていました。


「できの悪い子ほどかわいい」と


私はきっとそんな存在なのでしょう。





酒井先生、中村監督を私の父だと思い、

親孝行していきたいと思います。