少年野球指導 名将から引き継ぐスピリッツ 少年野球バッティング | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

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名古屋にあるバッティングスクール「Count23」のブログです。
小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。

いろんなブログを見ていたら

たまたま先輩のブログを見つけました。


高校時代野球部時代の先輩で、私の3つ上なので一緒にプレーを

したことはありませんが、OB会や監督の家で顔を合わすことが多く

優しい先輩で、子供のことでアドバイスをいただいたり、

相談に乗っていただいたりしています。


その先輩のブログに掲載されていた動画を紹介いたします。



当スクールのメインコーチ、元中日ドラゴンズの川又米利がレギュラーを

務める中京テレビ「スポーツスタジアム(毎週日曜午後5時放送)」に

私の恩師である愛工大名電高校野球部元監督の中村監督が

取材されたときのビデオです。


17分ほどのビデオになりますので、2つに分けています。

では、ご覧ください。

(ビデオの最初にピー音がでるのでご注意ください。)


前編




後編





私も中村監督に2年半の間鍛えられ、野球のことだけでなく

人としての生き方、考え方を教えられました。

それら教えられたことが実行できているかというとまだまだで、

今でも説教されることはあります。


高校時代の2年半を中村監督と一緒に生活し、

ビデオの中で工藤さんや山崎が言っているように

私にとっても「おやじ」という存在です。

私の父は私が28歳の時、病気でなくなったのですが、

父が息を引き取る前日に私に言い残した言葉があります。



「私はもうだめだから、私が死んだらおまえのおやじは中村監督だ。

私に親孝行しようと考えていてくれたなら、それを中村監督にしなさい。」



と言い残して息を引き取りました。


今から10年前、中村監督が愛工大名電高校を退職し、

豊田大谷高校の監督に就任しました。



そのとき中村監督が、私に「コーチで一緒に来い」

と声をかけてくださいました。



私はそのときは会社勤めをしていましたが、すぐその会社を退職して

豊田大谷高校の職員となり、中村監督と一緒に選手を指導しました。


亡くなった実の父の遺言どおり、育ての父である中村監督に親孝行

する気持ちでした。


高校時代の2年半は選手として中村監督に鍛えられ、

豊田大谷高校では中村監督の部下として指導者の勉強をさせて

いただきました。


中村監督が指導してプロ野球選手になったのが13人います。



その中でも工藤さん、山崎、イチローは特に有名で、それらの選手を

どのように育てたか、また、プロ野球選手だけでなくレベルの高い

技術を持つ選手に育てるには、どのような指導をするのかという勉強をさせて

いただきました。



その指導の中には技術的な指導だけでなく、中村監督の野球への情熱

選手への愛情など、中村スピリッツも受け継いでいます。



これらの経験を生かし、スクールの選手には中村監督のように

愛情を持って指導しているつもりです。



私がスクールの選手を教えているとき

「中村監督ならこの子をどう教えるだろう・・・」

と考えることがよくあります。


中村監督の一番弟子は現愛工大名電高校の倉野監督で、甲子園で全国制覇をし、

師匠の実績を超えました。



私は2番弟子くらいだと勝手に思っていて、今はチームを持っていませんので、

中村監督から教わった指導法で、私はイチローを超える選手を育て、

師匠を超えたいと思っています。



将来の夢が愛工大名電高校や中京大中京高校など強豪校に進み、

プロ野球選手になりたいという選手は、私たちと一緒に練習しましょう。





あなたも一緒に野球をしませんか!

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