「歌う民生委員」60年近くギターを弾いている私は、自称も含め今はそう呼ばれている。結婚して10年間、全くギターを弾かない時期があった。40歳から、四十雀(四十から)なるバンドを結成したが一年で自然消滅。社会人だと仕事が優先してなかなか集まれない。以後、エレキギターからアコーステックギターに代わり弾き語りの道に!
民生委員は、個別訪問する。けど、自宅の中ではなく、玄関先で!と就任時に言われた。個人情報がうるさくなり、靴下の上から肌をかくようなイライラ感が拭えない。民生委員仲間が、自分の担当地域の人たちを公民館に集めて憩いの時間を計画した。そこで、ライブをして欲しい!との依頼を受けて1時間演奏した。「歌う民生委員によるよみがえれ青春の歌」のポスターが作られて、大正時代に建築(2010年耐震工事しリニューアル)された日南市の産業遺産場所の油津赤レンガ館に35人が来てくれた。この地区では、年4回のコンサートが決定している。そんな時、近所のおばさん(私より10歳上)から、「外出できない(緑内障で失明)けど聴きたいなあ」と言われた。思ったのは、健康な私が、外出したくとも出来ない人の所へ出前演奏すればいい!そう決めた。
宮日新聞も取材にきてくれた。私の持ち歌は70曲近くある。どの曲も10人いたら10人が知っている歌しか演奏しない。横文字の歌もなし!「ダイアナ」は漣健児さんの訳詞。イーグルスの「ホテルカリフォルニア」だって私自身が日本語に訳詞した。今回の自宅ライブの観客は、80歳と77歳。昭和35年~40年が青春時代。当然、坂本九(上を向いて歩こう)や橋幸夫(いつでも夢を)ペギー葉山(学生時代)加山雄三(君といつまでも)からスタートした。
ご当地ソングの「女ひとり」(京都)と宮崎の「フェニックスハネムーン」初夏らしい「思い出の渚」(ワイルドワンズ)で一部終了。
二人とも、「全部知っていました!」との感想。こうした、外出できない人の自宅ライブはスタートしたばかり。私はどこへにも出かけて行くつもりだ。