「セクシー田中さん」の原作漫画も読まず、ドラマも見ていない高齢者の一人として漫画家・芦原妃名子さんの自死騒動には、「死を持っての抗議なの?!」の思いが拭えない。メモ帳を失くしたから断定で書けないが、昨年亡くなられた国民的作家Mさんは確か「原作と映像化された作品は別物です。いち視聴者としての立場です!」と言われていた。つまり、原作者としては了解したら後は口出ししない!という立場である。
作品を映像化する時には、テレビや映画会社のプロデューサーと脚本家がダイジェストしたのがテレビ映画作品であり、原作を忠実に再現したとしても完全ではない。私なんか別物として見ている。
脚本家にも、原作者の直接会わず書く人と相談して書く人がいる。見る方からすればどっちでもいい。面白ければいい。あの巨匠、松本清張原作の「砂の器」と、映画「砂の器」は構成が違う別物作品である。が、映画の方が好き!だという読者が多い。私も、交響楽と親子巡礼の旅が重なる映画作品の方に軍配をあげる。小説では、ラストシーンの空港に溜飲が下がったが泣けなかった。けど、映画では音楽が頭から離れず、親子や丹波哲郎の刑事と同じく涙が出て仕方なかった。映像と書籍の違いだろうか?
作品が映像化される以上、原作と他人の手が入った作品は別物として口を一切出さない「達観派」と、自作品にこだわり、いじられたくない「慎重派」のふた通りに分かれる。芦原さんは「慎重派」で、最後の放映ドラマは自らの手で脚本を書いた?!とか。それでも自死せねばならなかった!とは…。
私は師匠・ひろさちやさんの「夜逃げのすすめ」(集英社新書)に書いてあった「仕事に全力投球してはいけない」を読んでいたから、芦原さんの行為には賛同できない。(あのドラマは私の原作品とは別物だとお考えください!)とでもSNSに書いておけばよかった。
身近な例で言えば、会社に百%の力や意識を懸けてはいけない。そんな人は会社人間か社畜になってしまう。会社と社員なんて「契約関係」です。貰う給料分だけ働けばいいのです。簡単にリストラするような会社に忠誠を尽くす必要があるでしょうか。芦原さんは、あまりにも真面目すぎたのでしょうね。「いい加減」でよかった。無から有を産む作者の何が分かるのか!と批判されるかもしれませんが、生死をかけるのなら、作品で示すべきだった!と私は思います。勿体ないですよ。たかがテレビドラマで自死するなんて!