「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫)を6年ぶりに再読した。1932年、国際連盟がアインシュタインに「今の文明で最も大事だと思う事を意見交換したい相手と書簡を交わしてください」と依頼した。アインシュタインが選んだのが精神科医のフロイトだった。そのテーマが戦争だった。

 アインシュタインは、平和を願いつつも、人間には、権力欲と、武器商人たちのように権力にすり寄り利益を得ようとする存在をあげ、人間には本能的に憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求がある。つまり、戦争は、人間の攻撃的な本性ゆえに決してなくならないのだ」と問いかけます。

 フロイトは、アインシュタインの考えにほぼ全面的に同意。そして、人間が相手を絶滅させようとする本能的な欲求のことを「破壊欲動」(死の欲動)なる概念を提示します。フロイトは、人間には「生の欲動」もあり、これは生を統一し、保存しょうとする欲動のこと。「死の欲動」は、破壊し、殺害しょうとする本能的なものと説明します。結果、世界から戦争はなくならず、完全なる平和がなかなか訪れない理由として、人間が破壊を求める死の欲動を持っているためだと結論づけました。

 1932年というと、第一次世界大戦が終わり、ヒットラーのナチスドイツが戦争に突っ込んでいく時期。ユダヤ人の2人は、共にナチスの家宅捜査を受けて暗殺の危機を感じてアインシュタインは米国へ。フロイトは英国へ亡命します。こうして、2人の戦争論は、ナチズムの激しい嵐の中で消えました。

 私は、フロイトの人間の持つ暴力論に共感を抱いた。原初の時代から、人が相手に言うことを聞かせようとした場合、もっとも手取り早い解決法は暴力だと!人と人との利害関係は次第に強力な武器を使える人が勝者となっていく。自分は暴力的な人間ではないが、相手が野蛮な暴力である場合、こちらもやむ終えず武装し自衛するしかないという理論です。ここから、日本政府は安保法制化を正当化し、米国の銃規制が今だに困難な要因となっています。

 フロイトは、こうした原初の時代から、暴力から権利への道がはじまる!というのです。そして、征服による平和は長続きしない。征服には必ず報復が起こる。暴力は問題の解決にはならず、先送りでしかない。

 20世紀は「戦争の世紀「殺戮の世紀」だった。21世紀の今も、局地的な紛争という戦争はなくならない。人間は懲りない生き物ということですね!