「芸道一代」美空ひばりの曲ではないが、市川猿翁さん(83)の死去を知り、この言葉の意味を考えた。猿翁さんは二代目だが、2003年に脳梗塞で倒れ20年は闘病生活で歌舞伎界での活躍はできなかった。だが、音楽と踊り、空中遊泳などの新作歌舞伎を切り開き、スーパー歌舞伎の旗手としてその絶頂期の頃は、3代目市川猿之助だった。名称を継ぐという伝統で名前が変わると、私なんか何代目なのか?と分からなくなる。

閑話休題。コラムニスト中野翠さんの記事(朝日新聞)を毎日楽しく読んでいる。彼女には「今夜も落語で眠りたい」(文春新書)なる著書があり、私は落語仲間?として中野翠さんを見ている。何しろ、落語好きになったのが、古今亭志ん朝の落語を聴いてからという共通項があるからだ。中野さんは「文七元結」を師走の暮れにたまたまテレビ「落語特選会」を見て虜になった。私は浅草演芸場で聴いた「明烏」だったが…。中野さんはその時のことを新聞では「引き込まれていって、最後は涙をボロボロ流して拍手までしちゃっていた」とある。

 落語は人間の愚かさを許容してくれるところがあり、見栄っ張りも欲張りもやきもち焼きもみんな受け入れる社会だ!とも言う中野さんの落語に対する立ち位置は私も同じだ。志ん朝は、偉大なる父、五代目志ん生の名跡を継ぎ六代目志ん生になってもおかしくはなかった。その前に、63歳の若さで志ん朝が亡くなり、名跡問題はなくなった。結果、それでよかったと思う。落語好きには、志ん生、文楽、圓生、志ん朝に何代目はない。今、我々が生きている時代を何年か一緒に生きてくれた噺家に共鳴するのだ。志ん朝は確か三代目だったが、これからも四代目は出てきて欲しくない。まあ、私が存命中に新志ん朝はないだろう!

 血縁伝統芸である歌舞伎にどうしても入れないのは、代々血筋を重んじて何か天皇家みたいだからかもしれない。落語のように、語りの上手い人が市井の中から出てきて話芸を継いでいく気楽な伝統芸能がいい。

 私は今も毎晩、一席聴きながら就寝するのを30年以上続けている。夜、眠れないという体験は皆無だ。それは、落語家の声と江戸・明治の庶民の生き様に誘いこまれて癒されるのだ。早い時は「まくら」の段階で夢の世界に入り込む。最後に、中野さんが季節ごとの志ん朝の落語を書いている。

一月・御慶。二月・火事息子。三月・幾代餅。四月・愛宕山。五月・品川心中。六月・居残り佐平次。七月・船徳。八月・酢豆腐。九月・真田小僧。十月・厩火事。十一月・二番煎じ。十二月・芝浜。

 まさに、今晩も落語で眠ります!