クシャーンティ:寛容

相手に怒りやがっかり感が湧くとき
それはきっと期待外れだったりすることも
一つの要因

期待外れとは
自分が思った通りの反応じゃない
自分のやり方とは違う

自分とは違うという事

自分と違う事が許せない、受け入れられない

たぶん、そんな事が原因だったりする
私の場合(笑)


みんなそれぞれ違うのは当たり前のことで
自分と100%同じ考え、同じ習慣、常識を
持っている人なんていない

そんな事は、100も承知で
でもまだそんな感覚が沸いてしまう

これはどうしたことかと

バガヴァッド・ギーター13章にある
20の価値観の一つ

クシャーンティ:寛容
についての解説を読み瞑想中に考えてみた


クシャーンティは我慢とは違います
それは喜ばしい寛容

その為に相手の背景を知る事
そう振る舞ってしまう背景がその人にはあること

。。。

もう一つ、頭の中に浮かんできてくれたことは

違いがあるからこの世界に調和が生まれるという事

例えば、私と同じ考えや能力
常識や習慣を持った人ばっかりだったら
どうなるだろう。。。

うん、きっと世界は単一的でぞっとする(笑)

それは、きっと

パズルのピースが
全部同じ形だったり

時計の歯車が全部同じ形だったり

そんなことかもしれない

それじゃあ、うまく噛み合わない
全然完成しない

人それぞれに与えられている
性質や能力、姿かたちも
考え方、体力。。。

全て違う


それは、その人に与えられた役割を
果たす為に与えられている
イーシュワラ(宇宙の法則)からのギフト

それに良いも悪いも
優劣もない


それぞれが、それぞれの役割を果たすために
与えられていて

それぞれが自分の役割を果たせるから
この世界は成り立つ


例えば、家庭と言う狭い世界だって同じ

わたしとさみさんは
性質や能力、考え方、得意な事も違う
だからこそ、家庭は回っている

男性、女性の役割
父性、母性の役割
それはどちらも大切で
1人の人間が全て賄えるものではない

私が得意な事は
さみさんが苦手な事だったり

さみさんが得意な事は
わたしが苦手だったり

だから苦手を補えるし
助けある

その得意をサポートしてくれるのが
その人の性質だったり能力だったりする

それゆえに
自分とは違う考え方だったり
やり方となったりする

その人をその人として成り立たせる為に
与えられた性質

違いの背景にはきっとこんなことも
含まれているのではないか

そう思えば
許すも許さないも
受け入れるも、受け入れないも
個人の私が判断することではない


全てイーシュワラ(宇宙の法則)により
この世界を成り立たせる為に
アレンジされた采配


ここに感謝もせずに
自分の苦手を代わりに担ってくれていることを
すっかり忘れて
怒って文句を言っているということなんだな
。。。と。

なんと!オコガマシイ(笑)


でも、きっとこれからも
違いが見えた時に
わたしはこんなことを忘れて
イラっとしてしまうだろう

それは何度も繰り返すと思う

だけど、その瞬発的な思考の癖を繰り返しながらも
また違いについて考えてみよう

そうして、少しずつでも
クシャーンティ:喜ばしい寛容
という性質が身につきますように。


その人がその人であることに
感謝が持てますように。


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