ばあちゃんの死を知ったのは、休日の朝だった。
9月19日のこと。
母からの着信があることに気づいて、折り返したら、ばあちゃんが死んだ、とのこと。
「あのね、ばあちゃんが死んだ。」
母の最初の一言目はそれだった。
言葉が出なくなった。
頭がまっ白になった。
ばあちゃんは実は数年前から施設に入ってて
呆けが進んで、ほとんど僕のことなんて認識できてなかった。
そう、人間としては生きていても、祖母としてはある意味もう死んでいた
僕にとってはばあちゃんはばあちゃんだけど、
ばあちゃんにとって僕は孫ではなかった。
じいちゃんも夫ではなかった。
じいちゃんは「よく怒る人」で、僕の母は「よく世話をしに来る人だった」
年に数回しか来ない僕は、誰でもなかった。
ボケの進んだばあちゃんの話す言葉は、敬語が多かった。
誰もが、祖父よりも先に祖母が死ぬだろうと思っていた。
それもあって、7月の祖父の危篤は衝撃的だったのだ。
声が出せないまま10秒くらいして
「大丈夫?」と母が聞いてきた。
「うん」と声が出た。
経緯と、事務的な情報を聞いて、電話を切った。
ばあちゃんが、死んでいる。
それで僕はどうすればいいんだろう?
何も答えが見つからなかった。
ばあちゃんは、前日の夜から容体が悪かったらしい。
死ぬと確信できるほどに。
それなのに!夜には僕に連絡が来なかった。
じいちゃんのときにはすぐ連絡が来たのに。
でもそれは母の優しさだとわかっているし
なんだかその問題は何となく理由がわかってて
でもそれを言葉にしようとすると複雑すぎて
何よりも、もう祖母は死んでいるから、
何も思えなかった。
空しすぎて
祖父が死んだときは、劇的だった。
人間の命の、その重みを知る出来事だった。
そう、命は重いはずなのに、
「気づいたら死んでた」なんて
軽すぎるじゃないか。
葬式は、本当に近しい家族だけで小さく行うとのことで
僕は鹿児島に行くかどうか迷い、
行かないことにした。
親戚の多くも行かないとのことだった。
祖母の死に関しては誰にとっても予定調和で
もちろん今日死ぬ死なないなんて誰も知らないけど
これまでにも何回か重態になったこともあって、近く死ぬとわかっていたし
ある意味で祖母はとっくに死んでた、というのは母でさえも抱いていた認識なのだ。
「難病」でもなく「意識不明」でもなく、「認知症」だから。それは死に等しく、早く死んだほうが楽なのだろう。
僕らにとってそういう認識だった。かなり極端に、言えば。
自分ならこういう風に長生きしたくない、と思ってしまう。
人間にとって一番残酷な生き方なんじゃないか?と。
苦しまずに死ねたらいいね、と心のどこかで思いながら、帰省のたび施設の祖母を訪れていた。
それなのに、毎回、元気な姿を見て本当に安心もしていたのだから、人間というのは不気味なものだ。
知らせを聞いた数時間後
兄から電話が来た。
「お母さんが、こうたろうが元気なくしちゃったと言ってたから」
という電話。
ばあちゃんは苦しみながら死んだんだ、ということをここで聞いた。
泣きながら、涙声になりながら会話した。
翌日、祝日明けの火曜日の朝
僕は会社で、カレンダーを見た。
月曜日が、何の日だったかを知った。
「敬老の日」だった。
見た途端
反吐が出るような、最悪な気分が滝のように僕を襲った。
ばかばかしい
ばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしいばかばかしい
最悪な言葉が一日中、頭に流れ続けた。
気づいてしまった。
祖父の死のときは、僕を救ったものが二つあったのだ。
一つは、祖父の最期を見届けられたということ。
そして自分は何よりあのとき、ボランティアに救われていたんだと。
祖父が死んですぐ、別の人を救えたという経験が
僕をとてもとても救っていたんだ。
今は僕は誰も救えないし
何も、誰も、僕を救ったりしない。
最悪な僕が、残るだけだと気づいてしまった。
頭を巡った無数の「ばかばかしい」は、自分に対しての嫌悪。
「敬老の日に祖母の葬式に行かないことを決意」してしまった自分。
これまでの人生で、こんなに最悪でばかばかしい「決意」があっただろうか。
自分を納得させられないことに、気づいてしまった。
悲しみが、自分への嫌悪感に変わった。
カレンダーを見る前まで納得してた自分の最悪さに気づいた。
一生の恥とは、このようなことを言うんだろう。
誰に話しても、「なんで?」と言われるだろう。
そして答えることは、できない。
「葬式を軽く見たからです。」と答えなきゃいけないけど、
きっと僕はそんな正直に答えられない。
あの日の僕は永遠に最悪なままで僕の記憶に残り続け、
僕はそれを他人の記憶に入れないようにこそこそし続けるだろう。
木曜日、台風で多くの電車が止まった日。
帰れなくなった同期と二人で、新宿で酒を飲んだ。
このとき僕はようやく、家族以外の人に祖母のことを話した。
彼は、ただただ僕の話を聞いてくれた。
「大変だったんだな。なんて言っていいかわからないけど、、、」と言っていたが
僕のほうは、人に話せたということだけですごく気が楽になってしまって
それまで三日間まったくってほど出なかった本物の笑顔が、出てきた。
突然世界が明るくなって
次の日からは驚くほど自然に、人と会話を楽しむことができるようになった。
きっとこのとき、二人きりという環境じゃなかったら僕は絶対何も祖母のことを話さなかったと思う。
二人きりというのが僕にとって大切だった。
台風とか、いろいろな偶然のおかげで救われた。
それからまったく彼とその話をすることはなかったし、
二週間くらいは、彼以外の人間には誰にも祖母のことを伝えることないまま時間が過ぎた。
それと時間はさかのぼるけど祖母が死んだ月曜日の夜、
大阪の友達から急に電話が来た。
その日の後ろ向きな僕のツイートを見て、電話をかけてきたらしい
「仕事たいへんなん?」って。
実は祖母が死んだんだなんて微塵も予想してないんだろうな、と思いながらもやっぱりうれしくて
フフっと笑えるような、澄んだ気持ちにさせてもらえた。
祖母の死でもやっぱり、沢山の友達に救われた。
知りもしない友人たちが無意識に僕を救った。
死に立ち会えず、ボランティアもなかったけど
家族と友達はあのときと変わらず僕の心のそばにいて、僕を救ってくれた。
次の週、両親が前々から予定していた東京観光に予定通りやってきて
明るく祖母の話もして
僕は苦悩の洞窟から抜け出せたことを確信した。