だいぶ前の話である

金子国義の家を訪ねたことがある。

30代の終わり頃だった。

手を尽くし彼の電話番号を手に入れ

電話をした。

「絵を描いて欲しい」と頼むとすんなりとOKを貰えた。

で、妻と訪ねる事になった。

場所は南大井、

あたりに車を止めるスペースがなく

駅近くの駐車場に入れた。

駅前のイトーヨーカドーの花屋で

深紅のバラとかすみ草の花束を作ってもらった。

画家の家は神奈川ではよく見かける

米軍人に貸すために作られた

「ハウス」と呼ばれている家ふうのたたずまいだった。

呼び鈴を押すが誰も出てこない

藪蚊に襲われながら暫く待ったが、

どうやらすっぽかされたらしい、

仕方がないので名刺に訪ねた旨を書き花束に挟み

引き返した。

つづく

この絵は金子國義がイタリアの

オリベッティに依頼され顧客プレゼント用に

作られた絵本「不思議の国のアリス」の

表紙の絵だが


私は画家にこのアリスを描いて欲しいと頼んだ。

kenroのブログ

出来上がった絵は,

以前にこのグログでアップしたが,

私の欲しいアリスとは違っていた。


それは当り前なのだ、

だいたいそんな事を画家に頼む方がおかしい、

大変失礼な事と、後になり気が付いた。


画家とはインスピレーションで絵を描き上げる

過去の作品と同じ物を同じ様に描くことはない


同じ物を同じように寸分の狂い無く作る

完璧を求められる職人とは違うのである


でも私はどうしても欲しい、

では自分で書いてしまおう!


その時私はのっていた

0号を油絵でこの女の子とそっくりに仕上げ

友人を自分の部屋に招き入れ自慢した。


その絵は大評判で「私にも書いて欲しい」と

依頼が殺到し計4枚描き全て人に渡った。


私には1枚も残さなかった。

なぜか興味が失せていた。


10年位たっただろうか、

友人宅に行ったとき、

私の描いたアリスが飾ってあるのを見た。


私はそれがすごく魅力的に見え

またアリスを描いてみたくなった。


これが全然描けないのだ

あまりにも出来が悪く、描くのをあきらめた。


絵とは情熱とその気がないと描けないものなのだ。





私が小学3年生になる頃、

私たち家族は父の転勤で会津若松から

郡山市に引っ越してきた。

郡山での第一印象は「同じ県内なのに言葉が違うな」

と感じたことであった。

それには理由があった

江戸時代この辺りは、わずかに人の住む寒村であり

宿場村であったが、

明治期にこの広大な原野に猪苗代湖から水を引き

日本一の穀倉地に変貌させたのである。

この原野に入植した人たちが九州の久留米藩の人達であった。

そのため郡山の言葉は九州弁と東北弁が混じったような

一風変わった言葉に聞こえたのである。

それから道路がやたらに広いと思った。

それはそうだろう原野に街を造るのだから

図面を引くように道路が作れたのだ。

敵に攻められ難く造った城下町会津若松の

道路と比べると違いは歴然であった。

大人になり車を手に入れ九州にも2度行ったが

その頃はどこの街も道路はこれから良くなる

だろうと云う状態だった。

郡山の道路はあの犬鍋の人達が造ったのだろうか。