日曜日、叔父の告別式に出るのため会津若松に行ってきた。
会津若松は、原発の被災地域からの住民の流入で人口が増え、
保険金と、国からの支援金などのため意外にも
景気は良いとのことであった。
叔父は人徳のある人で、請われて福島県の商工会副会長を務めた
人だったのでそれは大きな告別式であった。
叔父は母の一番下の弟で享年75歳だった。
叔父は生まれる2日前に父(私にとって祖父)を亡くし
2歳のときには母(私にとって祖母)が亡くなると云う
波乱の人であったが、7人の兄弟と祖父の残した財産の
おかげで不自由ない幼少期と青年期をを過ごしたそうである。
祖父は死の間際に
「私はお前たち全員が大学まで行けるだけの金を残した」
「しかり勉強するように」と言って亡くなったと云う
脳溢血で亡くなったと云う祖父が死の間際にそのような言葉が
果たして残せたのか疑問だが、
母の兄弟の語り草となっていた。
私は今、時間的にも余裕が持てるようになり
75年前、若くして亡くなった祖父とは如何なる人だったのか
調べてみようと思うのである。
