「正しい育児」が、親を苦しくすることがある

「ちゃんと育てなきゃ」

子どもが生まれたとき、
きっと多くの親が一度は思うことではないでしょうか。

  • ちゃんと食べさせなきゃ。
  • ちゃんと寝かせなきゃ。
  • ちゃんと遊ばせなきゃ。
  • ちゃんと発達させなきゃ。
  • ちゃんとしつけなきゃ

そして、気が付けば

「この時期には、これができているはず」

「こういう関わり方をするといい」

「こうすれば、よく眠る」

「こうすれば、イヤイヤが減るはずです」

そんな情報を、私たちは毎日のように目にします。

 

今は、知りたいと思えば、いくらでも情報を探せる時代です。

便利になりました。

助けられることも、たくさんあります。

でも、その「正しい情報」が、
時として親を苦しくしてしまうことがあります。

「こうすればいい」が、いつの間にか

「できない私はダメ!」になる

例えば、

「赤ちゃんにはたくさん話しかけましょう」

という情報を見たとします。

よし、いっぱい話しかけよう。

でも、今日は疲れている。

家事も終わっていない。

赤ちゃんは泣いている。

思うように話しかけられない。

そもそも、何を話せばいいの?

 

そんな日が続くと、

「私、ちゃんとできていないのかな」と思ってしまう。

「寝る前は毎日同じルーティンを」

と言われれば、同じに出来なければ

今日もうまくできなかった。

 

「もっと子どもの気持ちに寄り添って」

と言われれば、

さっき怒鳴ってしまった。

 

「自己肯定感を育てるには……」

と聞けば、自分の関わり方で、
この子の自己肯定感を壊してしまったらどうしよう。

 

そうやって、

子どものために学んでいたはずなのに、
いつの間にか「正しい親にならなきゃ」という苦しさに追われて

苦しくなってしまう。

 

そんなことがあります。

方法を知ることが悪いわけじゃない

ここは、
はっきり伝えておきたいと思います。

私は、

「育児情報なんて見なくていい」

と言いたいわけではありません。

 

むしろ、知らないことで困ることもたくさんあります。

専門家の知識に助けてもらうことも大切です。

誰かの経験から、ヒントをもらうことも大切です。

方法が、親子を助けてくれることもあります。

 

問題は、

「方法を知ること」と「その方法を正解にすること」は違う

ということ。

 

「この子には、これが正解」と決める前に

例えば、

「この方法で寝かしつければ、赤ちゃんは眠ります」

と聞いたとします。

 

やってみる。でも、眠らない。

すると、「この方法が合わないのかな」と、別の方法を探す。

 

それでも眠らない。今度は、

「私のやり方が悪いのかな」となる。

 

でも、ちょっと待ってください。

 

もしかしたら、その子は今、

  • 眠ることより別のことに興味があるのかもしれない。
  • いつもより疲れているのかもしれない。
  • 昼間の刺激が多かったのかもしれない。
  • 身体のリズムがいつもと違うのかもしれない。

そもそも、
その方法が、今のその子に合うとは限らない。

つまり、

方法が悪いのでも、親が悪いのでもなく、
「今のこの子」をまだ見ていなかっただけなのかもしれない。

子どもを見る余裕を、親から奪ってはいけない

私は、ここがとても大切だと思っています。

 

親が、「今日はこの子、なんだかいつもと違うな」

と感じたとき。

その小さな違和感を、「でも、育児書にはこう書いてあるから」

と無視してしまったら。

あるいは、「この方法を続けなきゃ」と、目の前の子どもより、
方法を見るようになってしまったら。

 

せっかく子どものために学んだ知識が、子どもを見ることを邪魔してしまう

ことさえある。

だから私は、

親に方法を渡すだけではなく、

「あなたの子どもを、まず見て」と伝えたい。

 

 

BMB式が大切にしたいこと

私は、
親に新しい「正解」を渡したいわけではありません。

「こうすれば大丈夫」という、
もう一つの育児法を作りたいわけでもありません。

むしろ、「あなたの目の前にいる子どもを、もう一度見てみてください」

と伝えたい。

 

そして、

  • 「私は、この子をどう見ているんだろう?」
  • 「この子は、今、何を感じているんだろう?」
  • 「この子には、今、何が必要なんだろう?」

そんな問いを、
自分で持てるようになってほしい。

 

それは、
親だけではありません。

子どもに関わる支援者にも、
同じことが言えると思っています。

 

だから私は、

「方法を教える人」ではなく、
「見る力を育てる人」を育てたい。

そう思うようになりました。

 

BMB式が目指しているのは、
「正しい子育て」ではありません。

その子を、その子として見ること。

そして、

その子を見ながら、
その時々に必要なことを選んでいけること。

その力を、
親にも、支援者にも、
取り戻してほしいと思っています。

「困った子」ではなく、

「困っている子」なのでは?

 

「この子は困った子なんです」

子どもの相談を受けていると、
そんな言葉を聞くことがあります。

 

  • 言うことを聞かない。
  • すぐ怒る。
  • 友達とトラブルになる。
  • 落ち着きがない。
  • 何度言っても同じことをする。

だから、

「困った子なんです」と。

 

もちろん、
毎日の子育ての中で困ることはあります。

何度言っても伝わらなかったり、
周りの子とうまくいかなかったり、
どう関わっていいのか分からなくなったり。

親だって人間です。

「もう、困ったなぁ……」

と思うことくらい、あります。

 

でも。私は、その言葉を聞くと、
もう一つの問いを持ちたくなります。

「その子自身は、困っていないだろうか?」

 

「困った行動」の中で、

 何が起きている?

例えば、

友達のおもちゃを取ってしまう子。

大人から見れば、

「取っちゃダメ」ですし、「なんでそんな意地悪するの?」と思いがちです。

 

もちろん、それは伝える必要があります。

でも、その行動だけを見て、

「この子は、わがままで意地悪だ。」

と決めてしまったら、
そこで見ることが終わってしまいます。

 

なぜ取ったんだろう?

欲しかったから?

「貸して」がまだうまく言えなかったから?

友達が持っているものが気になって仕方なかったから?

待つことが難しかったから?

そもそも、
「人のもの」と「自分のもの」の感覚がまだ育っている途中なのかもしれない。

あるいは、

その日、いつもより疲れていたのかもしれない。

同じ「おもちゃを取る」という行動でも、
その背景にはいろいろな可能性があります。

 

だから私は、

行動を止めることと、
その子を決めつけることは別に考えたい。

と思っています。

「ダメなこと」は、ダメでいい

ここは、誤解されたくないところです。

BMB式は、

「子どものすることは全部受け入れましょう」

という考え方ではありません。

 

  • 人を傷つけること。
  • 危険なこと。
  • 相手の大切なものを奪うこと。
  • 社会の中で守らなければならないこと。
  • 必要なことは、ちゃんと伝える。

「それはダメだよ」

と言うことも、子どもを育てる大切な関わりです。

でも、「その行動はやめよう」と、

「あなたは困った子だ」は、同じではありません。

 

ここを一緒にしてしまわないことが、私は、とても大切だと思っています。

行動を止めたあとに、「なぜ?」を見る

例えば、

何度言っても走り回ってしまう子。

「走らない!」と何度注意しても、また走る。

 

大人からすると、

「何度言ったら分かるの?」となります。

 

でも、本当に「分かっていない」のでしょうか?

走りたいのかもしれない。

身体を動かしたいのかもしれない。

その場所が楽しくて、
興奮しているのかもしれない。

長く座っていることが苦手なのかもしれない。

何をしていいのか分からなくて、
動いているのかもしれない。

あるいは、
大人が求めていること自体が、
まだ理解できていないのかもしれません。

 

もちろん、
だから走っていいわけではありません。

でも、「走るな」と言い続けるだけではなく、

「この子は、なぜ走っているんだろう?」「どう言えば伝わるか?」と見てみる。

すると、次の関わり方が変わってくることがあります。

「困った行動」は、

子どもからの情報かもしれない

私は、子どもの行動を見ていると、

その行動そのものが、何かを教えてくれていることがあると思っています。

 

言葉で説明できない。自分でもうまく分からないし説明できない。

でも、

  • 泣く。
  • 怒る。
  • 逃げる。
  • 叩く。
  • 動き回る。
  • 拒否する。
  • 繰り返す。

そんな行動として、何かを表していることがあります。

だから、「どうして、こんなことをするの?」

だけではなく、「この行動から、何が見える?」

と考えてみる

 

すると、子どもの行動が少し違って見えてきます。

でも、「困っている」と決めつけるのも違う

ここも大切です。

「困った子」ではなく、

「困っている子なんだね」

と言い換えれば、それでいい。

 

私は、そういう単純な話でもないと思っています。

なぜなら、私たちには、
その子の内側を直接見ることはできないからです。

だから、「この子はきっと困っている」

と新しい答えを決めてしまうのではなく、

「もしかしたら、何か困っているのかもしれない」

くらいのところから、その子を見ていく。

 

これが、私が大切にしたい「見る」ということです。

 

決めつけない

でも、放っておかない。

分からないからこそ、よく見る。

そして、「もしかしたら……」と考えてみる。

「この子は、どうしてこうするんだろう?」

子どもの行動にイライラしたとき。

何度言ってもやめないとき。

「もう、この子は……」

と言いたくなったとき。

ほんの少しだけ、
その言葉を止めてみる。

そして、

「この子は、どうしてこうするんだろう?」

と問い直してみる。すぐに答えが見つからなくてもいい。

「分からない」でもいい。

むしろ、「分からないから、もう少し見てみよう」

と、思えることが大切なのかもしれません。

 

  • いつ、
  • どんな場面で、
  • 誰といるときに、
  • 何をしたあとに、
  • どんな表情で、
  • その行動が起きているのか。
  • 昨日と今日は違うのか。
  • 家ではどうなのか。
  • 園ではどうなのか。
  • その子自身は、
  • そのあとどうしているのか。

そうやって見ていくと、

「困った行動」だったものが、その子を知るための手がかりに変わっていくことがあります。

子どもを変える前に、その子を知る

子どもの支援では、

「どうしたら、この行動をやめさせられるか?」

を考えることがあります。

もちろん、それも必要な場面があります。

でも、その前に、

「そもそも、この子は何を伝えようとしているんだろう?」

と考えてみる。

 

その行動をなくすことだけを目標にするのではなく、

その行動の奥にいる、一人の子どもを見る。

そうすると、「この子をどう変えよう?」

という問いが、「この子が、この子として育っていくためには、何が必要なんだろう?」という問いに変わっていく。

 

私は、そこに支援の大きな違いがあると思っています。

「困った子」の前に、もう一度見る

子どもが困った行動をしたとき、

叱ることもある。

止めることもある。

ルールを伝えることもある。

 

それでいい。

でも、そのあとに、もう一度、その子を見る。

「この子は、何をしていたんだろう?」

「何を感じていたんだろう?」

「何が分からなかったんだろう?」

「何ができなかったんだろう?」

「何ならできたんだろう?」

そして、

「この子の中で、今、何が育とうとしているんだろう?」

と、考えてみる。

 

子どもは、私たちを困らせるために生きているわけではありません。

その子には、その子の理由がある。

ただ、その理由を言葉にできないことがある。

 

以前、保育補助で入った保育園で、

噛みつきが問題にされている子を担当しました。

 

とは言え、他の子もいるので一瞬その子から目が離れた瞬間に

誰かに嚙みつきます。

これはどうしたものかと困り果て、こっそり様子を見ました。

すると、全くそれまで関わりのなかった子が

噛みつく子のおもちゃをワザと取る瞬間を見ました・・・。

 

そう、わざと噛みつかれて可哀そうな子を演出する子がいたんです。

 

これは正直ちょっと衝撃でした。

2~3歳の子でもそんなことするの???です。

 

確かに、噛みつかれた子は被害者で、私たち大人から

「痛かったね、可愛そうに。それに引き換え、○○君はなんで噛みつくの(# ゚Д゚)」

と、自分を被害者にしつつ、誰かを悪い子にしていく図が

完成していました。

 

だからこそ、大人の「見る力」が必要なのだと思います。

 

「困った子」と決める前に。

「困っている子」と決めつける前に。

まず、その子を見る。その子を取り巻く環境を見る。

 

ちなみに、先ほどの噛みつく子は

被害者になりたがる子が、○○君のおもちゃを取り上げた瞬間に

入り噛みつく前に、私が二人の間にはいり解決しました。

1週間ほどで噛みつく子と言う悪いレッテルはなくなりました。

 

このように

BMB式が大切にしている「見る力」は、
そんなところから始まります。

 

その子は本当は何に困ってるのか?

まずはそこから始めます。

「この子は遅いんです」の前に、何を見ていますか?

「この子は、何をするにも遅いんです」

子どもの相談を受けていると、
そんな言葉を耳にすることがあります。

 

・着替えるのが遅い。

・食べるのが遅い。

・歩くのが遅かった。

・言葉が出るのが遅い。

・集団についていくのが遅い。

 

そして、

「同じ年齢の子は、もうできているのに……」

と、心配になる。

 

もちろん、
我が子の成長が周りよりゆっくりに見えたら、
心配になるのは当たり前です。

 

親だからこそ、

「大丈夫かな」
「何かしてあげたほうがいいかな」

と思う。

でも、私はそんなとき、
一つ立ち止まって考えてみてほしいと思っています。

「遅い」と感じる前に、
私は、この子の何を見ているんだろう?


「遅い」という言葉の中には、いろいろなものが入っている

例えば、

「着替えるのが遅い」

という一言。

でも、実際に見てみると、

服を着ること自体はできている。

ただ、ボタンを一つずつ丁寧に留めている。

途中で外の音が気になって、
窓のほうを見ている。

袖が裏返っていることに気づいて、
自分で直そうとしている。

あるいは、

「次は何をすればいいんだろう?」

と考えている時間が長いのかもしれない。

それを全部まとめて、

「この子は遅い」

と言ってしまうと、

その子の中で起きていることが、
見えなくなってしまいます。


「できる・できない」だけでは見えないもの

子どもの成長を見るとき、

「できた」

「できない」

というのは、とても分かりやすい指標です。

だから、大人はついそこに目が向きます。

 

でも、

「できた」の中にも、

いろいろな姿があります。

 

早くできた。

ゆっくりできた。

誰かと一緒ならできた。

自分で工夫してできた。

何度も失敗して、できた。

できたけれど、本人はまだ自信がない。

 

そして、

「できない」の中にも、

いろいろな理由があります。

やり方を知らない。

経験が足りない。

今は興味がない。

身体の準備がまだ整っていない。

やろうとしているけれど、うまくいかない。

できるけれど、今はやりたくない。

 

同じ「できない」でも、
その中身はまったく違うかもしれません。

だから私は、

「できる・できない」の手前にあるものを見たい。

と思っています。


では、何を見るのか?

例えば、

「この子は何をするにも遅い」

と思ったとき。

一度、「遅い」という言葉を横に置いてみる。

 

そして、

この子は、実際には何をしている?

と見てみる。

 

  • どこで止まっている?
  • 何をしているときは早い?
  • 何に時間がかかる?
  • 途中で何に気を取られる?
  • 自分でやろうとしている?
  • 誰かに手伝ってほしそう?
  • できたとき、どんな表情をしている?
  • 失敗したときはどうする?
  • 誰かと一緒ならどうなる?
  • 昨日と今日では何か違う?

そうやって見ていくと、

最初は「遅い」としか見えなかった子どもの姿が、
少しずつ違って見えてくることがあります。


「遅い子」ではなく、

「丁寧な子」かもしれない

もちろん、

本当に発達のペースがゆっくりなのかもしれません。

何らかの支援が必要なのかもしれません。

だからといって、

「何でも個性だから大丈夫」

と言いたいわけではありません。

必要な支援を受けることも、
とても大切です。

 

私が大切にしたいのは、

判断する前に、ちゃんと見ること。

 

「遅い」という評価を先に置いてしまうと、

その子の丁寧さも、

慎重さも、

考える時間も、

自分でやろうとする姿も、

見えなくなってしまうことがある。

 

逆に、

ちゃんと見ていれば、

「ここは少し苦手なのかもしれない」

「ここには支援が必要かもしれない」

ということも見えてくる。

つまり、

見ることは、何でも肯定することではありません。

 

その子の今を、
できるだけそのまま受け取ること。

そこから、

「では、この子には何が必要なんだろう?」と、考えていくこと。

私は、それが支援の出発点だと思っています。


子どもを見るとき、

私たちは何を基準にしているんだろう?

ここで、もう一つ考えてみたいことがあります。

「遅い」と思ったとき、

何と比べて、遅いのでしょう?

 

  • 同じ年齢の子?
  • きょうだい?
  • 自分が子どもの頃?
  • 育児書に書いてある目安?
  • SNSで見かけた、同じ月齢の子?
  • 「このくらいできてほしい」という、
  • 親自身の願い?
  • 私たちは、

子どもそのものを見ているつもりでも、

実は、

「こうあるべき」という基準を通して、
子どもを見ていることがあります。

だからこそ、

「この子は遅い」

と思ったときには、

子どもを見るだけではなく、

「私は、何を基準にこの子を見ているんだろう?」

と、自分自身にも目を向けてみる。


見ることは、評価をやめることではない

ここは、BMB式でとても大切にしているところです。

子どもを評価してはいけない、
ということではありません。

 

発達を確認することも必要です。

できること、できないことを知ることも必要です。

 

専門的な評価や支援が必要な場合もあります。

でも、

評価することと、決めつけることは違う。

 

「今はできない」と、

「この子はできない子」は違う。

 

「時間がかかる」と、

「この子は遅い」も違う。

その違いを大切にしたい。

 

なぜなら、

一度貼られたラベルは、
大人の目を変えてしまうからです。

そして大人の目が変わると、

子どもへの関わり方も変わります。


だから、私は「見る」から始めたい

昨日の記事で、

子どもを変える前に、その子を見る。

という話をしました。

 

今日、もう一歩だけ進めるなら、

評価する前に、見る。

です。

「遅い」と言う前に。

「できない」と言う前に。

「困った子」と言う前に。

一度だけ、

その言葉を横に置いてみる。

 

そして、

「この子は、今、何をしているんだろう?」

と見てみる。

 

そこには、
まだ私たちが気づいていなかった
その子の姿があるかもしれません。

そして、その姿を見つけることができたとき、

「この子をどう変えよう?」

ではなく、

「この子が、この子らしく育っていくために、

 私は何ができるだろう?」

という問いに変わっていく。

 

私は、その問いを持てることこそ、
子どもを支援する人にとって、
とても大切な力なのではないかと思っています。

「この子は遅いんです」の前に、
もう一度、その子を見てみる。

そこから、何かが変わるかもしれません。