元旦は北陸で地震、

翌日は羽田空港で事故が発生。

犠牲者が出るなど、心が痛む新年の始まりでした。



コロナ明けぶりに親戚がやって来ると言うので、

重い気分で迎えた正月。


誰も来ない、家族だけで過ごした

静かな正月はあまりに素敵だった。

ゆっくり起きて、自分の好きなおせちや、

正月料理は、好きな時間に好きなだけ食べて過ごし、

ゴロゴロとしたり、ゆるゆる散歩をしたり。

あれを経験してしまうと、コレに戻るのが辛い。



それでも年末はデパートへ行き、

あれこれ材料を買い込んだ。

それが、結構な値段で出費が痛い。

自分たちが食べたいものを見つけても我慢。

まずは、皆に振る舞うための食材が優先か。


大晦日は、恒例のおせち作り。

義父がテレビの懐メロを見て、

私は演歌を聴きながら出汁を取る。

煮物を作り、義母は黒豆を炊く。

娘はいつも、野菜やこんにゃくの

飾り切りをやってくれていたけれど、

結婚してイギリスに渡れば、これで最後か。

三世代で立つ台所、おせち作りも思い出に。


元旦はとりあえずゆっくり目に過ごし、

翌日二日に新年会。

テーブルは家中の椅子を並べてもゲストでいっぱい。

義母と私は終日座れず、立ちっぱなしでお給仕。


ゲストが笑顔で帰って行くと、

まあ、これはこれで良かったかなと思うけれど、

いよいよ義母も高齢で台所仕事も辛そう。

私も年々、大行事は疲れてしまい、

娘も遠方に嫁に行ってしまったとなれば、

正月に戻って来るのも難しかろう...。


娘無しでは、

義弟家族と義父母のためだけに、

いつまで、この顔合わせ会の賄いを続けるべきか考えてしまう。


あと何年やればいい?



娘の結婚を機に、年賀状の「卒業」の如く、

長男家での正月の顔合わせの卒業宣言しようかな。

来年以降は、私などより若い

次男や三男の家でやってもらうのはどうだろう。


そして私と夫は、正月は娘を訪ねてイギリスへ。

ここから逃げてしまうと言う手もあるか。



そんな事を考えつつ、

それでも、笑顔で終わって何よりと安堵。

これは、しあわせな事なのだと言い聞かせる。



残ったおせちをつまみながら、

ぬる燗でお疲れ様会。

自分のための取っておきの酒器は、

羽田空港から飛び立って、

福井、山代、能登を旅した時に買った九谷焼。



これは偶然。

でも、込み上げる思い。


一日も早く、安心して暮らせる日に戻れますように。

今はただ、そう祈るばかり。