2023年5月26日
初日の松島観光に続き、二日目は山寺観光です。
仙台駅から仙山線で山寺駅にやってきて、
売店の力こんにゃくを食べてから、立石寺へ向かいました。
9時45分
山門で拝観料を支払って立石寺の境内へ・・・・・・
修行の霊山とも言われる石段を一段ずつ登ります。
長い階段があることで有名な宝珠山立石寺こと山寺です。
なんと石段は全部で1070段もあるそうです。
参道の石段沿いには、たくさんの石塔や石に掘られた神仏など見所が多くあります。
日差しが木々にさえぎられて木漏れ日となって降り注ぐので意外に歩きやすいです。
ちょろちょろと清水も流れていて、爽やかに歩くことが出来ました。
山寺は、正しくは 宝珠山 立石寺といいます。
貞観2年(860)第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する霊山です。
当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められたのです。
開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、
また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、
大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。
その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ一度衰えますが、
江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されたのです。
元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
の名句を残しました。
現在は約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、
三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。
風雨にさらされて、書いてある文字が見難くなくなっていますね。
立石寺山内の自然に沿ってつくられた参道は、古来からの修行者の道で、
立石寺開山の租といわれる円仁(慈覚大師)、や開祖の安慧が通った道です。
修行者の参道は、一番狭いところは4寸(14cm)しかなかったともいわれています。
立石寺の百丈岩へと続く参道の途中に、せみ塚があります。
せみ塚は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、
「奥の細道」途中の芭蕉が立石寺で詠んだ
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
の句をしたためた短冊をこの地に埋め、石の塚を立てた場所だそうです。
「山寺の蝉」は環境省の日本の音風景100選にも選定されており、
せみ塚付近がそのヒアリングのポイントとのことでした。
でも、残念ながら蝉の鳴く時期ではありませんでした。
まだ5月下旬ですが、仁王門脇の赤紅葉の葉が綺麗でした。
立石寺の仁王門は、参道のほぼ中間地点にありました。
嘉永元年(1878年)に再建されたけやき材の門で、仁王像は運慶の弟子たちの作といわれています。
いままで自然豊かだった石段の道も仁王門をくぐると、
霊場山寺の核心部分へと近づいてきたことが実感できます。
ケヤキ造りの仁王門も山寺を代表する建造物のひとつです。
阿吽の呼吸ですよね~
開山堂が見えてきました。
納経堂と開山堂は百丈岩と呼ばれる大きな岩の上に建てられており、眼下には山寺周辺の街並みや山河が広がります。
納経堂は、下の写真にある、崖の上の小さなお堂になります。
この納経堂周辺の光景は、山寺一番のビュースポット・・・・らしい。
立石寺の納経堂は、百丈岩の入定窟の頂に建っています。
百丈岩の上に建つ納経堂の絶景は、雑誌やパンフレットで見たことがある山寺の風景ですが、
それは下からじゃないと写せませんね。
開山堂は、山寺を開いた慈覚大師のお堂で慈覚大師の木像が置かれています。
左手には山寺随一の景観といわれる納経堂が見えてますね。
納経堂から、五大堂(五大閣)へやってきました。
立石寺の五大堂には、五大明王が祀られており、天下泰平を祈る道場であると共に、
山寺随一の展望台でもあり、山寺でもっとも観光客に人気があるビュースポットです。
ここから後ろを振り返ると・・・・・・・
五大堂からの眺めは、こんな感じです。
息を切らしながら登ってきた1015段もの石段ですが、その苦労が吹き飛ぶ光景です。
ちょうど、山寺駅のホームに山形行きの電車が、行き違いの為に止まっていました。
いや~、素晴しい眺めでした。
五大明王が祀ってある堂内には、たくさんの千社札が貼られていました。
最近は、千社札の貼り付けを禁止されているところも多いですね。
ここのお寺も、今は貼り付け禁止になっていました。
五大堂を後にして、奥の院へ向かいましょう。
今の時間は、10:15でしたから、約30分で山門からここまで来ることが出来ました。
奥の院まであと少し!! 頑張りましょう!!