不撓不屈、折れない心を望み、吉野神宮へ | cotsplaceのブログ

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2020年1月4日

 

近鉄の観光特急「青の交響曲」に乗って吉野まで来たけれど、普通電車で一駅逆戻りしました。

 

 

下車したのは吉野神宮駅です。

ここから吉野神宮まで歩いて参拝に向かいます。

 

 

帰りの電車をチェックして・・・・15分か40分ですね。

帰りの電車を12時40分に目標を定め吉野神宮に向かいます。

 

 

吉野神宮駅前から南へ向かうと直ぐに大鳥居が建っています。

鳥居をくぐって「吉野神宮」までの道のりは、少し急坂を約1キロ程(20分ほど)登るそうです。

 

 

結構な急坂の自動車道を登ってきたら、吉野神宮の入り口が見えてきました。

 

 

そこにはバス停が・・・・スマイルバスが運行されているようですね。

バス停の時刻表が気になるなんて、テレビのバス旅みたいですね。

 

 

さて、先に進みます。

 

 

吉野神宮について少しだけ調べてみました。

 

 

吉野山は、後醍醐天皇が文保2年の践祚以来、天皇親政を志し、北条氏を倒して建武中興を成就しますが、

足利尊氏の造反にあい延元元年に吉野山に遷幸され、吉野朝廷(南朝)を樹立した場所です。

 

 

吉野朝廷は一時期「吉水院」に行宮(皇居)を定めましたが、のちに、「実城寺」を行宮と定めて「金輪王寺」と改称します。

 

 

「吉水院」は、明治維新の神仏分離令の際、廃寺となり、明治8年「吉水神社」と改称されます。

 

 

明治7年に、天皇親政復古を目指した建武中興の理想が成就されたとして、

「後醍醐天皇社」という名称のもとで創立が許可され、

天皇ゆかりの旧吉水院内に祀ったことによるものと考えられます。

 

 

しかし、後醍醐天皇の奉祀神社の創建を一寺院を改称して充てるのは、不見識であるとされ、

明治22年、「吉野宮」として新たな社殿を創立し、官幣中社に列されたのです。

 

 

明治25年の社殿完成の際は、後村上天皇の勅命により吉水神社に奉安されていた後醍醐天皇の御宸像が奉遷されます。

明治34年には、「官幣大社」に昇格し、大正7年には、神宮の号を奉称して「吉野神宮」と改称されました。
 

 

本殿・拝殿・神門はかつて後醍醐天皇が京都の御所への帰還を熱望していた心情を汲んで、

京都の方角の北向きに建てられています。

 

 

総檜造りで、近代神社建築の代表とされているようです。

 

 

境内は、桜の名所でもあるようですから、桜の季節に来るのもいいですね。

 

 

花咲く祈りのさくら鶴・・・・・・

 

 

折り鶴を奉納するのもいいですね。

 

 

 

ここは、後醍醐天皇の忠臣七名を祀るお社なのですね。

 

 

厄割玉・・・・不撓不屈の心をもって厄落とし!!

 

 

「世治まり 民安かれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけれ」
 これは後醍醐天皇の御製です

 

 

建武の中興は、国の行末と民の安寧を思って起こされたものでした。

討幕の過程では、大切なものを失い、天皇でありながら流罪となられるなど、大変な苦難も経験されています。

 

 

何度も苦渋の決断を強いられながら、それでも後醍醐天皇は、国の未来のため、すべてを受け入れて突き進まれました。

 

 

そのお姿は、不撓不屈、折れない心を持った天皇として、高く評されているのです。

 

 

帰りは下り坂なので楽ちんでした、予定よりも早く吉野神宮駅に到着です。

 

 

電車がやってきましたが、観光特急「青の交響曲」でした。

私たちが行きに乗ってきた電車の折り返し運転ですね。

 

 

この電車の指定券は持っていないので、そのまま見送ります。

 

 

次にやってきた電車に乗って、薬師寺を目指します。

 

 

つづく