勝連城跡 Part.2 東江ツルおばあちゃん | cotsplaceのブログ

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2020年1月18日

 

世界遺産の勝連城跡に来ています。

 

 

勝連城跡の端には大きなテントが張られていて、ロープが張られ、一般の人は立ち入り禁止になってました。

 

 

世界遺産で何する人たちでしょうかねぇ~、

黒づくめの衣装は、もしかしてヤバイ人たち・・・・違うか~

 

 

かかわらずに、勝連城跡に向かいましょう。

 

 

二の曲輪までやってきました。

 

 

周辺から瓦が出土していることから、首里城や浦添城等と同じく瓦葺屋根の建物があったと思われます。

 

 

二の曲輪の建物は、勝連の政治上、最も重要な施設だったと考えられます。

 

一の曲輪階段は、敵軍による侵入などの勝連城有事の際の、最終防御としての役割を担っているそうです

 

 

城内に攻め入った敵が一挙に侵入できないよう、上るにつれて階段幅が徐々に狭まる構造や、

石積みに沿わせた道から敵の横腹を突いて撃退する仕組みなどの仕掛けにより、

少ない兵力でも敵軍と互角に戦えるような工夫が見られます。

 

 

ウシヌジガマが見えてます。

「ガマ」とは、沖縄本島南部に多く見られる自然洞穴のことです。

「ウシヌジ」には、身を隠し、凌しのぐという意味があるそうで、

このガマは「身に危険が及んだ時に逃げ込む場所であった」と考えられています。

 

 

1458年、首里王府軍によって攻め入られた際、圧倒的に数で勝る敵軍に対し善戦したものの、

難攻不落とされた勝連城も、最後は力尽きてしまいました。
 

 

この洞穴は一の曲輪「玉ノミウヂ御嶽」脇の洞穴と繋がっており、城主である阿麻和利は、

ここを抜けて現在の読谷村まで逃げ延びたという伝説が残っています。

 

 

大きな川の少ない沖縄では「カー」という泉が水源であり、人々の暮らしの中心となっていました。

 

 

三の曲輪では、政治的な儀式などが行われていたそうです。

多くの配下の者を前に、按司が様々な指示を出していたところでもありました。

 

 

三の曲輪には、広い広場が設けられていました。

 

 

さて、勝連城跡から駐車場まで戻ってきました。

そこには、勝連城跡休憩所があったので入ってみました。

 

 

そこにいたのは・・・・・

うるま市のアイドルおばぁちゃん!!!!、東江(あがりえ)ツルさんです。

 

 

東江ツルさんは、実在するおばあちゃんではありません。

バーチャルアイドルおばあちゃんは、いろんなところで出会えるようです。

 

とてもリアルにできていて、思わず肩をほぐしてあげましたよ。