「世界遺産 今帰仁城跡」へ Part.1 | cotsplaceのブログ

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2020年1月18日

 

沖縄旅の続きになります。

古宇利島を後にして、やってきたのは今帰仁城跡です。

 

 

「今帰仁城跡」と書いて「なきじんぐすくあと」と読みます。

沖縄の漢字の読みは超難関ですよね~

 

 

今帰仁城は、南北350m、東西800m、面積37,000㎡の沖縄県最大級の城なんですね。

 

 

伝説上の王統・舜天王統が始まるよりも遥か前に今帰仁世の主が築いたいう伝説があり、

利勇の反乱により世主は滅亡し、現在の残っている城郭跡は12~13世紀の築城だそうです。

 

 

城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時はとても繁栄していたようです。

 

 

石積みの城壁が幾重にも重なり続くさまは、素晴らしい景観になってますね。

 

 

昔をしのばせる風情の売店がありました。

 

 

古風ですが、掃除が行き届いていて清潔感がある佇まいですね。

 

 

店の横には、サトウキビの束が置いてありました。

 

 

その場で絞って、ジュースにして貰えるようです。

 

 

店に掲げられていた看板には・・・・石なぐぬ石ぬうふし・・・・・

まるで呪文のような言葉で、何が書かれているのか、まったくわかりません。

 

 

今帰仁城跡の有料エリアの外側には、古宇利殿地(ふいどうんち)がありました。

あれっ、さっきまでいた島は古宇利(こうり)島でしたが、ここは古宇利(ふい)ですね。

沖縄の漢字の読みは難しすぎですよ~

 

 

ここは平成22年に古い写真を元に復元したのだとか。

香炉が置かれた小さな祠には、火ぬ神(ヒヌカン)が祀られています。

 

 

小さな祠は、東北の方向を拝みていて、その方角にあるのが古宇利島なのだとか。

古宇利島の人々が旧暦の8月に集まって遥拝する場所なのだそうです。

 

 

古宇利島といえぱ、先ほどハートロックを見に行った島ですね、その古宇利島にはアダムとイブの神話が残っているようです。

それは、神により古宇利島に下ろされた男女の神話なのです。

神から与えられる食糧が滞るようになり、魚や貝を捕って暮しているうち、生活と労働の苦しみを知ることとなります。

また、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識し始め、その二人の子孫が琉球人の祖となったと云う神話です。

ハートロックも神話と繋がりがあるのかもしれませんね。

 

 

今帰仁城の正門の平郎門(へいろうもん)で、ここから先は有料ゾーンになってます。

係りの人にチケットを見せて入城しましょう。

 

 

左右に狭間(はざま)があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢な作りとなっています。

昭和37年(1962年)に修復されたものだそうです。

 

 

平郎門から大庭(うーみやー)まで続く参道は戦前に地元民によって桜の植栽が行われました。

 

 

このカンヒザクラの並木は、毎年1月末~2月始めに開花するそうで、

本部町の八重岳などと並び、沖縄の桜の名所として知られているそうです。

 

 

この日はまだ1月18日だったので、蕾も硬い状態で、桜の開花はまだ当分先のようでした。

あと二週間ほど遅く来られたら良かったですね、あ~残念!!。

 

つづく

 

施設のデータ
施設名 今帰仁城跡
所在地 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地