2020年2月9日
名鉄ハイキングの「豊川海軍工廠平和公園&商売繁盛の豊川稲荷」のコースへ参加しています。
ウオーキングだけでは寒い中、小走りも時折混ぜて体を温めます。
豊川海軍工廠(こうしょう)平和公園にやってきました。
豊川海軍工廠は、愛知県豊川市にあった日本海軍の工廠で、機銃、弾丸の製造を行なっていた施設です。
当時は東洋随一の規模の工廠だったようです。
第二次世界大戦後に広大な跡地のうちの一部が名古屋大学の研究施設として使われていました。
その一角を豊川市が整備し、2018年に豊川海軍工廠平和公園として開園したのです。
昭和14年のこの地に、五番目の海軍工廠として開廠されました。
昭和15年に拡張され、太平洋戦争では、航空機用機銃と対空機銃の需要が高まり工廠は急速に発展します。
昭和20年の従業員は、職員400名、工員10,000名、徴用工員40,000名、動員学徒6,000名の計56,400名にもなり、広さは330ヘクタールと東洋一の規模を誇るのです。
しかし、昭和20年8月7日に、サイパン、テニアン、グアムから飛来したB-29爆撃機124機の猛爆撃を受け、30分間に500ポンド(250kg)爆弾3,256発(約800トン)が投下され、工廠は壊滅したのです。
この空襲により、およそ2,500名もの人名が犠牲となりました。
勤労動員されていた中学生、女学生、高等科生徒からも多数の犠牲者出ることとなり、悲しい出来事になりました。
そして、工廠は再建されることなく、そのまま終戦を迎え、昭和20年10月5日に廃止されました。
その跡地は警察予備隊豊川駐屯地(現陸上自衛隊豊川駐屯地)、日本国有鉄道豊川分工場(現日本車輌製造豊川製作所)、千代田光学(現コニカミノルタ瑞穂サイト)、豊川市役所、名古屋大学空電研究所(現名古屋大学太陽地球環境研究所)、熊谷組豊川工場(現テクノス株式会社)などになっています。
旧第一火薬庫は、ボランティアガイドツアーに申し込めば、見学させてもらえるようでしたが、
1回目は始まってますし、2回目までは1時間待たなければなりません。
残念ですが、次の機会にすることにしました。
あの土堤の裏には、旧第三信管置場があるようです。
階段を昇って、行ってみましょう。
階段に上がると、さっきいた弾薬庫も見えますね。
土堤の裏には、旧第三信管置場の建物が見えてます。
階段を下りて、旧第三信管置場の建物へ・・・・
旧第三信管置場の建物内部については、文化財保護のため常時公開していないのですが・・・・・、
ちょうど10時の豊川海軍工廠語り継ぎボランティアの案内により見学可能になってました。
ラッキーですね、参加者の邪魔をしないように遠巻きで見学させてもらいました。
古い旋盤が、なんともいい味を出してますね。
語り部の話は、まだまだ続きますが、一足先に旧第三信管置場の建物を後にします。
トンネルを通って土堤の外へ退出します。
当時の街路灯が残されているようですね。
街路灯といっても、残っているのはコンクリートポールだけでした。
公園として整備されているので歩きやすいですね。
何本も残されている街路灯の表面には・・・・・・
散弾銃の跡でしょうか、コンクリートがえぐれているところもありました。
そして、防空壕の跡が・・・・・・
防空壕といったらコンクリートで固められたものを想像していましたが・・・・
ここは、なんと、素掘りの防空壕だったのです。
これでは、空襲にあったらひとたまりもありませんね。
悲惨な戦争は、二度と繰り返してはなりませぬ!!
腹時計によると、名鉄ハイキングも、そろそろ半分の地点でしょうか。
ここらで、モーニングタイムとさせて頂きます。
見つけたのは、雰囲気のいい喫茶店の「moe」さんです。
少しプラスするとモーニングがグレードアップするようですね。
通常のモーニングは、食パン+サラダ+スクランブルエッグですが・・・・・
家内は、小倉トーストにグレードアップしました(名古屋人はやっぱりこれですわ~)
私は、ピザの香りにそそられて・・・・・・ピザトーストをば・・・・・・・
優しい粒あんも美味しいですよ。
良くのびる、ふわとろチーズもたまりませんね~
小ぶりなサラダも・・・・・
スクランブルエッグも・・・・・・
淹れたての美味しい珈琲とともに美味しくいただきました。
体も温まったし、ここでハイキングコースを確認します。
はいっ、上の写真の地図は既に歩いたところです。
下の写真が、これから行く経路です。
ゴールの豊川稲荷を目指して、あと半分頑張りまっせ!!
つづく