太陽の塔は、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物です。
1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造されました。
万博終了後に取り壊される予定でしたが、撤去反対の署名運動があり、施設処理委員会が1975年に永久保存を決めました。
老朽化の進行とともに維持費が増加し、維持費の確保も難しくなっているが、太陽の塔は通天閣と並ぶ大阪のシンボルとなっており、維持管理に懸命の努力が払われているのです。
1994年には、万博開催25周年記念の目玉として、表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われ、
2007年からは、40周年事業の一環として、再び内部・外部の改修・補強が行われました。
万博終了後は永らく非公開とされていた太陽の塔内部ですが、2003年に限定公開されたり、不定期に公開されましたが、内部公開は2007年3月31日をもっていったん終了しました。
2016年10月から内部の再公開に向けた耐震補強・内部復元工事が実施され、2018年3月19日より再公開されているのです
12時になったので、太陽の塔の入場券をもって入り口にやってきました。
太陽の塔内部への入場料は大人700円、小中学生300円ですが、この入場料の他に万博記念公園への入場料が別途必要です。(大人250円、小中学生70円)
過去の限定内部公開の時は、内部撮影は禁止でしたが、今は1階のみ撮影できるようになっています。
(フラッシュ撮影や三脚、一脚、自撮り棒は禁止です)
エントランスの通路には、太陽の塔のコンセプトが固まるまでのデッサンが時系列で展示されています。
日付も書かれているので、デッサンにより、試行錯誤の跡がうかがえます。
なんとなく、構想がまとまってきたように感じます。
ここまでくると、ほぼ完成に近くなっていますね。
デッサンが掲げられた反対の壁に窓があって、そこから「太陽の顔」と「黄金の顔」の二つの顔を見ることが出来ました。
通路を抜けると太陽の塔の第4の顔である「地底の太陽」が展示されている「プロローグ空間」へやってきました。
ここで、並んで順番を待つのです。
太陽の塔の内部は吹き抜けになっていて、狭いらせん階段を上るのですが、少人数に分けての見学になってました。
従って、ゆっくりと、少しづつ、前に進みます。
ここには、横幅が約11mもある・コ・ロ・ナ・が表現され、直径約3mの「地底の太陽」がどっしりと鎮座しています。
色が変わっていき、なんとも幻想的な雰囲気でした。
「地底の太陽」は、万博終了後に内部が閉鎖され、地下空間も埋められた時、行方不明となっています。
2009年には、40周年事業の一環として再展示することを目指し、情報提供が呼びかけられたが見つかりませんでした。
2018年の太陽の塔内部公開に合わせるため、2017年3月より復元を開始しました。
復元は、図面が残されていないため、写真や関係者の聞き込みを元に制作した原型を3Dスキャンして拡大し、
美術評論家の意見を交え微調整して制作されたようです。
待ち時間があっても、「地底の太陽」の表情がどんどん変化していき、全然退屈しませんでした。
暫く、地底の太陽の七変化をお楽しみください。
さあ、順番がやってきました、注意事項を聞いて、先に進みます。
カメラ撮影できるのは1階のみで、らせん階段を上るときは、スマートホンやカメラを含め手持ち品を、落下防止のためにカバンの中へ収納しなければなりません。
これくらいの人数で、説明を聞きながら一緒に進みます。
生命の樹があって、一番下にはアメーバーが・・・・
生命の樹にまとわりつくのは三葉虫ですね。
クラゲも見つけることが出来ました。
生命の樹の上に行くにつれ、進化した形態が展示されているのです。
一階からしか撮影できないため、上部にいる恐竜や、ゴリラ等を写真に収めることができませんでした。
恐竜の一部と、ゴリラは過去のものをそのまま展示しているのだそうです。
写真は撮れませんでしたが、ゴリラは頭が骨だけになっていました。
万博以降半世紀ものあいだ放置されていたため、ゴリラの頭部が劣化して脱落してしまったのだとか。
気になる人は、見に行ってみてくださいね。
ちょうど、両腕の付け根あたりまで上ることが可能でした。
万博当時は、腕の中を通り、大屋根の空中通路へと出ていくコースになっていたようですが、
大屋根が撤去されたこともあり、腕の先の出口は閉鎖されていました。
万博の時、長蛇の列で諦めた太陽の塔の内部観覧を、半世紀後にリベンジ出来ましたよ。