屋島山上で屋島の戦いを振り返る | cotsplaceのブログ

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2018年3月18日

 

琴電屋島駅からシャトルバスに乗り込みます。

バスにも、ことちゃん・ことみちゃんが描かれてますね。

 

  

行先は、もちろん「屋島山上」です。

  

 

屋島の散策はどこから始めましょうか。

 

 

源平ロマン街道とは・・・・

源平合戦の舞台、青い海に思いをはせる道だそうです。

高松市屋島地区、牟礼地区、庵治地区の屋島ドライブウェイ、県道36号線、国道11号などを中心とし、屋島ドライブウェイから庵治半島を瀬戸内海沿いに巡り、道の駅「源平の里むれ」までを結ぶ街道です。

 

 

屋島城跡の城門も復元整備されたようなので楽しみです。

 

 

大きな金屏風の絵が描かれてますね。

 

 

源平屋島合戦の様子が描かれたものですね。

 

 

この頃の屋島は独立した島でした。

干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲を決意します。

 

 

寡兵であることを悟られないために、義経は周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだようです。

 

 

海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、内裏を捨てて、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出したのです。

 

 

やがて、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を屋島・庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛けてきます。

 

 

夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発します。

外せば源氏の名折れになると、義経は手だれの武士を探し、畠山重忠に命じるが、重忠は辞退し代りに下野国の武士・那須十郎を推薦します。

十郎も傷が癒えずと辞退し、弟の那須与一がこれを引き受けたのです。

 

 

与一は海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、鏑矢を放ちます。

矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がり、春風に一もみ二もみされてから海へ落ちました。

 

 

これに怒った平氏は再び攻めかかり激しい合戦となります。

合戦の最中に義経が海に落とした弓を攻撃の最中に拾い上げて帰ります。

「こんな弱い弓を敵に拾われて、これが源氏の大将の弓かと嘲られては末代までの恥辱だ」と語ったそうです。

 

 

平氏軍は志度浦から上陸を試みましたが、義経は80騎を率いてこれを撃退します。

 

 

やがて、渡邊津から出航した梶原景時が率いる鎌倉方の大軍が迫り、平氏はやむなく彦島へ退いたのです。

 

屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失ないます。

既に九州は範頼の大軍によって押さえられており、平氏は彦島に孤立してしまいました。

 

義経は水軍を編成して、最後の決戦である壇ノ浦の戦いに臨むことになるのです。

 

 

源平の戦いに思いを馳せて瞑想してしまいました。