青森県立美術館(2)青森の旅と。 | cotory lab. of ART

青森県立美術館(2)青森の旅と。

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ぼちぼち続きです。

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青森県立美術館というところは、「よくもまあこんなところに」的要素が強い美術館です。失礼ながら、あんなにステキな建物とあんなにステキな展示をしてるくせに、あまりにも辺鄙なところにあるといって過言じゃない。車でしかいけないし。対人口を考えたら、どうも不可思議な場所にある。

だからこそ、立地との兼ね合いを考える。
わざわざ青森に行く。青森という土地の持つ意味を考える。
特別な場所なのだ。東京のど真ん中にあって多くの人がいつでもいける場所とは違う。
消費社会の代名詞コンビニエンス・ストアの対極にあるような。その意味も、その場所も。いつでもどこでも何でも、の反対。今日しか見れない、ここでしか見れない、特別なもの。

青森旅行の後半に美術館にいけたことで、よりいっそう楽しめたと思う。
青森という土地がどういうところなのか。青森という土地が生む芸術とはなんなのか。

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日本のなかでも東北は「田舎」の代名詞として機能していると思う。母親の実家が新潟の山奥だが、あそこは地形図的に「僻地」といえる。(母は怒るが…なにも、何もないといってるわけじゃない。「地形図的に」だよ…)
いなかもののことばは「とーおぐべん」をプロトタイプにイメージされるし(それは私が関東育ちだからなのかもしれないが)、日本の冬の原風景は雪が降り積もらないといけない。

森が深く、山が込み入っていて、川が急で、水がおいしい。田んぼが広がっていて、小さな漁港があって、のどか。
ほら、日本人なら誰もが「懐かしい」と思う要素を東北は余すところなく備えている。

青森は要するに、日本の端っこ。北海道はアイヌの国だと考えるならば。
端っこには「古いもの」が残っている。時間の波の強くない場所。

空気が清浄なので空の色もくすんでいない。原色の青。水もきれいなので、海の色も濃紺。森の緑は侵されず、健康な青。草いきれ、鳥の声、風、山、太陽。すべてが澄んでいて、いつもどれだけ曇っていたのかがわかる。風の強さが心地よい。
山をドライブすればニホンザルの群れがのほほんと座っていたり、鳥の歌が飛び込んできたり。
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恐山の黄色。地面も空気も波の泡さえも硫黄の黄色で染まった山。
下北半島の風。自然の力強さを恐ろしいほど感じる。
むつ湾の白。霧がでていて、空と海の境界がなかった。空から船が降りてきたかと思った。
竜飛崎の風と光。世界のきらめき。
日本海の紺色と空の青。そして白いかもめ。奇岩海岸。自然の色と形。
白神山地。清浄な自然があれば、草は虫食いだらけの醜い姿にはならないのだと知った。しだの美しさ、透明な水の綺麗さ。綺麗の綺の字の意味を知る。

そういった自然のなかでこそ生まれる大胆な色彩。ダイナミックな形。

棟方志功の展示などは、まさしくそういったものをひしひしと感じた。
(それに棟方志功の版画の女の人は、青森でよく見る青森風の美人顔なのだと、青森に行ったからわかったのだ。)

寺山修二の奇な才能もここで育ったのだ。寺山修二記念館もまた不思議な場所だった。とても不穏なのだが、周りの自然の力も強いので、ここにあっても大丈夫なのだ。なかの様子も不穏なのだが、それが許容できる懐の深い、しかし繊細な場所。力の強い場所。青森県立美術館の寺山修二の展示室もまた、不穏だが面白い場所だった。

つづく。