伊藤存/三つの個展@国立国際美術館(2) | cotory lab. of ART

伊藤存/三つの個展@国立国際美術館(2)

(1) の続きです。

さて、今回は伊藤存さんの作品についていろいろ書いていこうと思います。

7/22(sat)に「作者と語る」という題で講演会がありました。

三つの個展の講演会について、もう少し書いておきたい。メモですが。
さて、今回は伊藤存さんの作品についていろいろ書いていこうと思います。

伊藤存さんというひとは、才能にあふれているけれど、
それに悩むことなく(? そもそも悩むという発想がみえないけれど)
柔軟な形で受け入れていくことのできる、
とにかくやわらかく「ゆるい」ひとだということが、なんとなくわかりました。

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「作者と語る」という題目で行われた講演会。登壇者が入ってきた。なんか美大を出てフリーターやってますって感じそのままのゆるーい兄ちゃんが壇上に座る。その人が伊藤存さん。ぬ。若い! 

1971年生まれというから私とたった10歳違いなのだ。
たしかに、34歳とかだったら、芸術家になる人はそこそこ名が挙がってないと、生活していけないのかもしれない。国立の美術館で個展やる人ってもっとすごいひとだと思ってたので、それからするとやっぱり若いと思った。すごさみたいなものが全く感じられない。気負いとか、余計なプライドとか。

その人となり、なんというか、そう、「ゆるい」のだ。

そのキャンパスも布(ゆるい)、糸(やわらかい)で、イメージもいろいろなものが混ざり合って、溶け合うけど、どろどろにならない感じ、ゆるい結合。結合というよりは、重なりあい。重ね合わせ。それは平面にありながら、幾層にも重なったなにかである。決してむりにくっつきあおうとしない感じ。ゆるい流れ。


刺繍という手法を選んだのも、なんとなく自分と奥さんとその友達で集まったときに手慰みにちょっと流行ってた、とかそういったゆるい理由かららしいし(何だその手慰み、ってめちゃ突っ込んでたけど、聞き手の学芸員さん)、イメージを作るときも、そんなにいろんなポリシーに縛られたくないんだーって雰囲気を感じた。
だから講演会も、なんかゆるかった。

あれだけのイメージを持っていて、作品が出来てくる。それはゆるさゆえなのかもしれない。すごい。ゆるゆるバンザイだ。

ああいった柔軟さで自分自身の素直で柔らかい部分を取り出すことが出来たら最高だ。


モティーフとなるのも、かなり個人的なエピソードから想起されたものだというし、それを選ぶポリシーも別にないという。

そういったものを刺繍というゆっくりとしたペースでしか進めない筆致で彼独特のやり方で描いていくのだ。

彼はペインティングだと、筆が勝手に動いてしまって描くとき選ぶ余裕がなくなるのがいやだという旨のことを講演で言っていて、それはそれで贅沢なことだよなと思ったり。

たしかに単純な線(糸に制約された)であれほどの重ね合わさったイメージを描けるのだから、筆がTOO MUCHになるのもわかるなあ(私は絵筆なんて持てないから実感としてはよくわからないけど)。


記憶を重ね合わせる。
主観的な世界を、自ら制約した道具立ての中で客観的に描く。
そういう作品なんだということがわかった。

そこには、誰から押し付けられた、誰かに押し付ける主義も主張もかけらすらない。

自由。
あるがままになろうとしないで、あるがままいる。

自然にあれだけのイメージを持っていて、自在に作品が出来てくる。すごいよ。ゆるゆるバンザイだ。

ああいった柔軟さで自分自身の素直で柔らかい部分を取り出すことが出来たら最高だ。


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あと、奥さんも芸術家で合作とかしてるってのもいいなーって思った。
自然に、奥さんと合作しててとかそういう話がゆるーく出てきたり。
アニメーションだとお互いのものを入れ込めるから、やりやすいんですよー。とかさー。なんだかいいなー。同じ分野でそれぞれ違った風に活躍できていて、お互い刺激になって、たまに一緒に仕事して。んーなんか、きゅんってするなー。 と思ったのでした。