Seed of ... -60ページ目

Seed of ...

毎日のなかにあるしあわせのたね。きぼうのたね。えがおのたね。すべては、みらいをつくるもの。

熊本の産交バスで人気の日帰りバス旅で、
かねてから行きたかった“軍艦島”こと、
「端島(はしま)」へ行ってきました。

長崎港から軍艦島へ行くための手立てはいくつかあるようですが、
ツアーに組み込まれていたのは、高島海上交通(株)というところの
「軍艦島クルーズ」便→


同ツアーのなかで利用したのは午後便でしたが、
通常は午前・午後の1日2便、運航しているようです。




山坂にたちならぶ家々や


たくさんの造船所を眺め、

通称「ヴィーナスウィング」と呼ばれる、女神大橋の下を通って



沖合へ。

伊王島を経由して“軍艦島”と同じ頃、
炭鉱景気でわいた「高島」へ向かいます



港から歩いて2~3分で見えてきたのは、
三菱の創業者、岩崎彌太郎の像→

そしてそのすぐ傍らに、
目的地のひとつ「石炭資料館」がありました。


“軍艦島”や「高島」の歴史や往時の街並み、
ひとびとの営みをうかがい知ることの出来る資料が揃うこの場所で
上陸前の予習タイム!


規定の見学コースからは見ることのできない“軍艦島”の全貌も
この模型で知ることができます。



もともとは、中心にそそり立つ岩壁だけのちいさな島だった端島。
海底炭鉱で良質の石炭がとれるとわかってから、
炭鉱施設や作業員たちを住まわせるための敷地を確保するために
埋め立てられ、東京ドーム5コ分といわれる
現在の大きさになったのだそうです。

今でも歩いて回れるほどの大きさですが
(※上陸できるエリアは決められています)
本来の島は現在の1/3にも満たなかったというのだから、驚き!

草木がおいしげるスペースもなく、本来は“緑のない島”なのですが
子どもたちの教育のためにと、屋上緑化がなされている建物も。


もともとあった岩壁を境として、
島の南東側に炭鉱用の施設が、
島の北西側に社宅や病院、商店、娯楽施設といった居住用の建物が
ぎゅぎゅっと凝縮して建てられています。


よく見ると、人々が暮らすためのエリアの建物は、
防波堤にそうように、湾曲して建っているのですが。

そもそもこのエリアの建物が、
防波堤をも越えてくる高い波から、炭鉱施設を守る役割も果たしている
ということを聞き、なんだかやるせない気持ちになりました。

うーん…そういうものなのかな。。。

島の高い建物の屋上に避難し、
防波堤を越える波を眺めていることもしばしばだったそうです。


ちなみに資料館では、炭鉱で用いられていた道具が展示され、
高島や“軍艦島”での作業風景や人々の暮らしぶりなどを、
写真や資料で見ることができます。






主婦でにぎわう公設市場の風景や
無邪気に遊ぶ子どもたちの歓声が聞こえてきそうな写真もありました。


ひとしきり、見学を終え
軍艦島についての知識を深めたところで、いざ!
出発です。


担当させていただいた「あれんじ」のお弁当コラムに対し、
いくつかのお便りがとどいたと
きのう、編集長からメールをいただきました。

保育園のイベント時のキャラ弁にはじまり、
土曜や夏休み期間の育成クラブのお弁当、
るすばんごはんから、
時間とお金の節約や
減塩生活を送る家人の体調管理などを目的としたお弁当へと移行しつつも
なんとなくつづけてきたお弁当生活。

いつのまにか、実益が趣味になり
楽しみながらひとり遊び的につづけているお弁当に
他の方々からお声をいただけるなんて思ってもいなくて
うれしい驚きでいっぱい。

そして、お弁当を客観的に見る機会をくださった
編集長やかずさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。

****************************

そしてこの春は、ひょんなことから、
えほんのお手伝いをさせていただいています。
原案ににくづけしたり整えたりとしてきた文章が
ようやくしあがりの段階になってきたので、
今夜あたり、うちの子たちに読みきかせて、
どんな反応をするか試してみようと思っているところ。

なんだかちょっとドキドキするな。

えほんは長女が生まれ、
よみきかせをするようになった頃から、
やってみたいと思っていたことのひとつ。

あの頃かいていたいくつかの走り書き。
もう一度見直してみようかと思ってみたりもしています。

絵が描けたらどんなにか楽しいだろう!と思いますが、
やっぱり「餅は餅屋」です。

本当に自分でつくれるときがきたら、お餅やさん…
じゃなくって、絵を描くかたにお願いできたらいいな♪


****************************

それにしても。

とくに得意な分野もなにもなく、
ただただ、つながるご縁やいただくお仕事にあまえながら
勉強しながら、アップアップでやってきたこれまで。

まだまだなにがとくいです!
おまかせください!!

なんて言えるほどの強みを身につけてもいないのですが。


つづけることで見えてくるものもあるのかな。
と、なんとなくおぼろげに、思ったりもしてきました。


写真は、小山智子さんの『双つ語展in熊本』で拝見した
「独楽」という作品。


独楽も、まわるのをやめたらパタンとたおれてしまうのですよね。
まわりつづけることで、しっかりと軸をすえていられる。

ひとりでも、ふたりでも、もっともっといっぱいでも
それぞれの軸を大切にしながら、楽しくしっかりうごいていける。

そんな家族や仕事をつづけていけたらいいなと思います。




12回目のトルコキキョウを飾りました。

電気屋さんやミシンの営業、
私が物心ついてからは、漁師や土木作業員など、
汗とサロンパスのにおいしかしなかった父ではありますが。


なぜかわたしのなかで
トルコキキョウは亡くなった父のイメージ。


父が好きだった花…なのかどうかはわからないけれど、
父がよく、仏壇に飾るために買っていた(気がする)花です。

だからあれから毎年この日は、
トルコキキョウを飾る日。


「孫の顔を早くみたい」とか「早く見せてあげなさい」とか
いろんな人たちに言われていたのに、
あの頃は仕事が楽しくて、お見合い話にも興味がなくて。

孫なんて見せられるわけもなく。

私はそのことに対して、わりと長い間、
申し訳ないなと思っていた気がします。


墓前で手を合わせるとき
「ごめんね」じゃなく、「ありがとう」と、
心の底から言えるようになったのは、かなり最近のこと。


今朝も家族全員で、
お墓参りに行ってきました。

(仕事が忙しそうだから、こっそり子どもだけ連れて行こうと思っていたら
「絶対にいきたい」と言ってつきあってくれた家人にも感謝)

お墓の前で、水をかける順番で
小さなけんかをはじめる3姉弟を見ながら、
おかしくってしかたなかったけれど。


それもまぁ、等身大のわがやだよね。と。
父に向け、心の中でウインクしたり。


先週の法事から、
同じような顔をしたたくさんのおじやおばたちの存在や
育ててくれた環境のこと、
いま、のベースをつくってくれたこと。


いろんなところで、父がのこしてくれたものを感じ、
受け継ぐということを意識し、
なにができるかしら?と考える最近です。


まずはあらためて。
心からの「ありがとう」をおくることからはじめよう。


お父さん。

ありがとう。