Seed of ... -59ページ目

Seed of ...

毎日のなかにあるしあわせのたね。きぼうのたね。えがおのたね。すべては、みらいをつくるもの。


いただきものの、「リンネ」さんの米粉クッキー。

あまりにも愛らしかったので、
いろいろ並べて遊んでいました。


いいないいな♪



ここ数年、ほしいなぁと思いつつ
手を出せなかった念願の豆型まげわっぱ。

わが家の新入りとして、活躍をはじめました。


このカーブがたまりません。
おむすびバージョンとか、楽しいかもな。

またまたワクワクいたします♪


高島を出港し、10分もたたないうちに
見えてきたのはこの風景。


小さな島の向こうにはっきりと、

建物群が見えています。



手前に見える小さな島は「中ノ島」。


この一帯でとれる石炭は、あまり質がよくなかったため、

早々に閉山されたそうですが、

今でも海岸に坑口の名残を見ることができます。


余分な施設をつくるスペースのない“軍艦島”のため、

火葬場や公園などが、この中ノ島につくられたのだそうです。

(故郷のあるひとたちの遺骨はここからそれぞれの故郷の墓地へ。

故郷がないひとたちのものは、軍艦島唯一のお寺に納骨されたそう)

合理的というかなんというか…

炭鉱という目的を果たすための手段というのか。。。


それはさておき。



船はどんどん進みます。


浮かび上がるシルエットはまさしく、軍艦。


ここから上陸し、
規定の見学ルートを歩きます。





島の中央にそびえたつ岸壁。
こんなにも急な傾斜にもかかわらず、手すりが備えられています。

ここ、道だったのですね…( ・_・;)

さらに見渡すと、こんな感じです。





軍艦島が無人の島になったのは、昭和49年のこと。


石炭にかわるエネルギー源として石油が登場し、

早々に、閉山を決定したのだそうです。



混乱をさけるため、正式に閉山を発表をする直前になっても
あえて学校施設の増築や給食のスタートなど

新しい取り組みをつづけていたというのだから、びっくり。


なんと、給食用のエレベーターまでつくられたんですって。
(↓ 奥に見えるのが、小学校と中学校の建物)


そうして閉山を悟られないようにし、

発表からたった3ヶ月の間に退去しなさい!だなんて



そこには、すでに根付いた子どもたちや大人たち

それぞれの輪や思い出もあったろうにと思うと

やりきれない気持ちになってしまいます。

でも、こんなことを思うのは、

今、この時代しか知らずに生きているからなのでしょうか。



40年という歳月の中で、
風雨にさらされ、
波にうたれて朽ちていく島。




もろく崩れさっていく建物のかたわらで、
あおあおとした緑が生い茂り、
花が咲く様子がとても印象的でした。




もとはといえば、「緑のない島」だったはずなのに。。。



炭鉱施設のなかでも、
重役たちが仕事をしていたという建物の一部には
見事な
レンガの装飾がなされています。



それに比べて、海底炭鉱へ行くために

作業員たちが毎日昇り降りしたという階段は、

大人が十人も同時に載れば崩れ落ちてしまうのではないか、

と思うほどのうすっぺらさ。




よく見ると、階段の左右はコンクリート色なのに対し、

中央部分は真っ黒です。



黒いのは、海底炭鉱からもどってくる作業員の靴底についた
石炭のあと。
そう、ガイドさんが教えてくれました。


コースを進み、
見学通路の最終地点、
第3見学広場へ。



ここは島の南にあたる部分。


南西部にある、居住区区域を見ることができる唯一の場所です。


防波堤にそうように、
建物が折れ曲がっているのがわかります。

ここには、日本最古の鉄筋コンクリート造という、
高層アパートがずらり。



ここが何千人もの人でにぎわっていた頃が
あったのですね。。。







島の一番高いところに立つ灯台は、

ここが無人島になってからたてられたもの。



24時間休むことなく、炭鉱が稼働していた頃は
あえて灯台を灯す必要もないほど、島の夜は煌々と輝いていたのでしょう。

炭鉱がなくなり、
島から人がいなくなり、

本当の闇が訪れるようになってはじめて、
この島に、灯台がつくられました。



プールがあったり、



がれきのなかに器の欠片を見つけたりすると、

この地に本当に人の営みがあったのだ…と、

あらためて思います。

上陸し、歩くことの出来るのはここまで。

滞在時間も決められているので、
ふたたび、来た道を戻ります。








実はつい先日、亡くなった伯父も

「高島」の炭鉱で働いていました。

女で一人で4人のこどもを育てた伯父の母、
つまり私の祖母や、
年の離れた弟妹たちのために
ずっと、仕送りをしていたそうです。


そういうわけで、今回の“軍艦島”でのひとときは、
炭鉱の歴史や人々の暮らしぶりに思いを馳せ、


もの悲しくもアーティスティックな風景を眺めたり、

ありし日の伯父の姿を重ね合わせたりと、

不思議で悲しく、

そしてやさしくてせつない時間となりました。




昨年、荒尾の万田坑を訪ねたときもそうでしたが、
こんな環境のなかで、
命がけの仕事をしていたひとたちがいる。

と思うと、なんだか胸がギュッとなります。

そのお陰で、私たちの今があるんだということを、
忘れないようにしたい。そう、思います。


あの、やさしくて寡黙だった伯父もまた、

そういう日々を送っていたのか…と思うと、
今さらですが、
もっと伯父と話をしたかったとも思うのです。



家も人も、山も街並みも。


たとえしゃべることはなくても、

そこに存在することで、
何かを伝えることができます。




受け取る側でいろいろな取り方はあるでしょうが、

ふれることで、“なにか”を感じることができます。

人がつくった島。

人々がたくさんの汗や涙や、笑顔をこぼした島。



そして、ひとの手ではなく、

自然の営みとときの流れの中で、
日に日に朽ちていく島。





人ってちっぽけなものなんだ。

それをいつもちゃんと意識してさえいれば、
なにも、誰も、傷つけずに済むかもしれない。

失わずに済むかもしれない。

自分の小ささを知り、
すべてが無限でも、永遠でもないことを忘れず、
そしてなにより、

足るを知る。ということ。



人がつくったもののはかなさやむなしさ

のこしたいという気持ち。

ここにいた人々の毎日を想う気持ち。

佇んでいたいという気持ち。


いろんなことを感じながら、

「存在すること」

「感じること」

「伝えること」

「つなぐこと」

の意味を考えた一日でした。



またいつか

会いに行きます。