若造という言葉だけでなく

祖母の放つ言葉は私にとって魅力的な

ものだった。



女が廃る

世知辛い世の中だ

立つ瀬がない

一時が万事

物見遊山

不甲斐ない

この他にも色々ある。



少し大きくなると

「都々逸....どどいつ」も教わった。

〈土手の芝、人に踏まれて一度は

枯れる。露の情けでよみがえる〉



人の世の儚さと情愛を例え、詠んだ

一節だというその意味は確か、

中学生くらいになってから

知ったのだと思う。




祖母は私が小6の時に他界した。

従って祖母から学んだ言葉の数々は

就学前から小6の間に吸収したもの

だった。




覚えると当然の如く

使ってみたくなる。

しかし友達に披露した事はない、

何の反応も無い事は分かっている。

ほぼ友達のお母さんがいる時に

多分、自分なりにタイミングを計って

使っていたと思う。




「そんなじゃ女が廃る!」と言った時

友達のお母さんが凄く驚いたのは

衝撃的だった。

「えーっ!女が、す.た.る.⁈」

えーっ!どうしてそんな言葉を知って

いるの⁈

誰に教わったの⁈」

おばさんは予想以上に驚いた。



「お婆ちゃん!」と言うと




「あー!、お婆ちゃん⁈

そうなんだ!ナ.ル.ホ.ド‼︎

Hちゃんのお婆ちゃんは

達者だもんね⁈ あーナルホドね!」

と言って妙に納得した風だった。


 

    〈あーナルホドねー!〉





そんな風に大人に向けて

使う度にその反応でその適正さが

判断できた。

つまり、あーこんな時にこんな風に

使うといいんだ!という事が分かった。





「一時が万事そうなんだよ!」と

言えば誰に教わったのか?と聞かれ

お婆ちゃんだと答えると...



〈誰に教わったの?あーそうなんだ〉





「交番の若造がトヤカク言うから」と

言うと

「えーっ!若造って⁈

一体誰の事? 誰がそう言ったの⁈」

〈ヘェ〜っ!そうなの!

  お婆ちゃんが⁈ そうなんだ!〉






「お母さんは⚪︎⚪︎に行った!

多分、物見遊山だと思う」と言うと



〈良く知っているね⁈ そんな言葉、

 誰に教わったの? ナルホド!

そうなんだ!〉





こうして近所のおばさん達の反応を

通して普通、使わないであろう

大人びた言葉を使う子供、

Hちゃん(私である)は

周囲のおばさん達に

知られるようになったようだ。