苦境に立たされていた時、途方に暮れていた時、「私に出来る事はありませんか?
宜しければ応援団長をやらせて下さい!」
と、仰ってくださった方が居る。
その方、H女史とはひょんな事がご縁で
お付き合いが始まった。
始まったのだが、間もなく女史は仕事で
日本を離れ暫く疎遠になった。✈️
私は長期間に渡り粉を原料とする食品の
製造販売を生業としていた。
数年して女史が帰国し再びお付き合いが始まり、以前よりも更に親しい間柄となり、
私共が扱う食品を定期的に大量注文して下さるようになった。
お一人様の女史はとても一人では消費出来ない量を購入して下さり、更にお付き合いのある方々にギフトとしてのご用向きにも
利用して下さる事が続き、その注文方法は主にfaxを多用されたのだがご注文時に
その御礼と先様の住所、電話番号、お名前、商品名、数量の確認などと共に時候のご挨拶、その時々の身近な出来事等、短いコメントを添えるようになった。✒️🗒️
それは無愛想にならない程度の親しみに
配慮し、友人ではないので砕け過ぎない
程度の距離感を保っていたであろうと
思われる。
思われるという曖昧さはとどのつまり実は私にとって殆ど記憶にない事であり、
日常に埋没してしまう程の些細な事で
あったのだと思う。
それがある時「貴女の書く文章はとても面白い!しかも手書きでサラサラと書き綴るのが更に良い!」と大層褒めて頂いた。
しかし私には文章を書いたという程の意識は無く更に文字について実は大いにコンプレックスを抱いていた。
それは以前(以前と言っても30年以上も前に遡る事ではあるのだが...)
勤務していた職場の上司に私が書く
文字について常々酷評されていた事に
起因しているのだが自分にも自信が無い上での更なる酷評だった。
「全く風情の無い字だなぁ!でかいばかりで趣というものが感じられ無い、人間性が丸見えだ!」というものだった。
文字に風情等というものが潜んでいるのか、趣って何だ⁈👊と思っていた。
文字を見てその人間性までが分かるものなのだろうか?第一、人間性が丸見えって何なの⁈決して褒め言葉で無い事くらいは分かる。ならばどんな人間性だと言いたい訳?そんな風に思っていた。
