秋ですね。気持ちの良い季節になりました。
中秋の名月、満月も本当に綺麗でしたね
。
お月さまマニアの私は双眼鏡でしっかり観ました。
でもその美しさをスマホにおさめようともしても、上手くできません。その美しさを忘れまいと脳裏にしっかり焼き付けました。
さてさて、このブログは自分の気持ちを整理して前に進む為に
記録しておきたくて書き始めました。
夫に対する怒りや、嫉妬心、夫に傷つけられた事、これからの
生活への不安な気持ちなどで苦しかったからです。
だから書くことによって、自分が夫から離れ、1人で生きていくべきなのだという事を正当化して、再確認したかったのだと思います。
コロナの影響もあり、1人家に籠る毎日が何ヶ月も続いて、悶々としていました。人生初の独り住まい。
子供達とは離れているし、彼らには彼らの生活もあるし、友達もさすがにもう1年も経っているのに、まだ同じ所で立ち止まっている私の話をいつまでも聞かせるのは悪いし。彼女たちだってそれぞれ人生大変なのですから。そして、離婚調停で必要書類として提出されたクレジットカード明細には、夫が愛人に使っていた飛行機代などが日付付きでわかってしまったので、夫が女とまだ続いていることなどが判明し、それがだいぶショックでした。私は夫が覚醒剤でおかしくなる前の夫に戻ってくれるなら、やり直したいとすら思っていたのです。でもよく考えたらあれだけの事されて、これだけ薬をやめられない夫と戻れるのか?その答えはNOです。それでもずっと悶々と悩んでいる自分に、嫌気がさして、苦しんで、いったい何を必要としているのかもわからず、もう八方塞がりのような状態でした。そしてこのアメブロで他の方のブログを読んで、その方を通じて7月の初めにクリスチャンになってから、気持ちが信じられないくらい落ち着いているのです。
たった3ヶ月の間に、子供達が夫と距離を取り始めました。私がこれを神様にお願いしたわけではありません。
でも正直、私の心の中では家庭を壊した夫が今まで通り子供達と家族を続けていくのは嫌でした。私が悪い事をしていないのに、夫が悪いのに、あれだけの事をして、今までどおりに父親ずらして、子供達もそれでいいのかなって思ってました。そして今、子供達は父親から距離を置いています。それはコロナの影響で子供達が父親と一緒に過ごした後で出した答えなのです。夫には覚醒剤をきちんとやめて、脳を元の状態に戻してほしいです。
依存症に対して、今までも自分で色々調べてきました。依存症は病気とわかっていても、それでも夫を許せなかったのです。
それが前回ブログで紹介させていただいた、ドクターのスピーチを観たら、すんなり心に入ってきて、依存症という病気の夫を理解できるようになりました。今までも、リサーチしてわかっていた内容なのに、今回だけはすんなり受け入れられたのです。これも奇跡だと思います。
夫からは愛人とはもう関係なくなった。完全に終わったと。という連絡がきました。完全に切ったと。新しく人生をスタートすると。
今まではこちらから愛人の事を聞くと、彼の答えは『会う予定はない』とか、『連絡するつもりはない』とか。そんなものだったのです。
これも私には真相はわかりません。でも毎日『夫があの愛人と別れて、薬をやめるように』と祈っていました。
だからいきなり夫から、女と別れたという連絡が来た時には驚きました。
でももう夫が誰と関係を持とうと、私には関係のない事だなって。だって私はもう夫と暮らすのは無理だし、あの地獄のような日々に戻るのはお断りです。だから彼が本来の自分を取り戻してくれるのなら、それでいいです。こう思えるのも大きな変化です。
クリスチャンになって、自分を見つめ直すことができたのもは、大きな変化でした。自分がいままで犯した罪、自分も完璧ではないという事。
敵を愛する事(これは難しいです。でも夫に関して言えば病気の彼は、私も子供も彼から離れ、薬の誘惑と戦いながら苦しんでいる、可哀想な人だなと思えるようになりました。愛人に関しては、神様の御心に委ねることにしました。)そしたら、自分の心が軽くなりました。
そして、世の中には悩んでいる人がたくさんいるという事。みんなそれぞれ悩みをかかえて生きています。私は自分が今生きている事に感謝する気持ちが生まれました。感謝するようになったら、もっといろいろな事が美しく、楽しく、感じられます。誰に遠慮する必要もなく、好きなものは好き、楽しいものは楽しいって。これ本当に奇跡です。不安感とか恐怖心とかが小さくなって、愛を感じられるようになりました。
自分がクリスチャンになるずっと前から、私が好きな歌詞があります。1991年に発売されて、その頃からいつも何かあると夫に対して使っていました(笑)。出会いが1991年だったので。
Bette Midler の From A distance という曲です。
God is watching us from a distance (神様は離れたところから私たちを見ていてくださる)
今思うと、当時まだクリスチャンではなかった私がカトリック
信者の夫に対してこの曲を歌ってたのですからね。
アーメン