何人かの友人に,面白いからとか,おまえ好きそうな映画だとか言われて,前々から薦められていました.
そう言われると,天の邪鬼だからどうも見たくなくなるんだよなぁ.
どうせオダギリジョーがかっこいいからだろ,と思っていました.(薦めてきたのは主に女性)
何だかんだいって観たわけですが,何ともまあ,「居心地の悪い映画」だなぁ,というのが率直な感想です.これは批判的な意見では全くなくて,ちょっと伝えづらい感覚なんですが,まあがんばって説明してみます.
まずリアリティの問題.リアリティがあり過ぎるのです.
ここで僕が言いたい「リアリティ」というのは,「ストーリー的にあり得るかどうか」ではなくて,言葉の意味通りの「現実っぽさ」.
そもそも映画というのは,第三者(観客,視聴者)に「見せる」ということを,多かれ少なかれ前提としているものです.
一方現実の生活では,そんなことは普通気にしません.だから例えば会話中に噛むとか,何となく雰囲気でわかるところは適当にしゃべるとか,何って言ってるかわからない(言葉の意味ではなく音声として)とか,それに対して聞き直すとか,みんな普通に起こっていいことです.当たり前ですけど.
ところが映画ではこれはあてはまらない.何かの意図がない限り,上のようなことがあってはなりません.「見る側」に伝わらなければ意味がないし,いちいち聞き直してたら時間の無駄ですから.
この映画はそこまで露骨ではないものの,雰囲気的にだいぶ「リアル」.さすがにセリフ噛むことはないですけど,何て言ったかわかんないところはちょっとありましたね.
さらに逆に考えて,現実の生活で他人を「見て」しまったら,どうなるか?
覗きとかではなくて,例えば喫茶店などで隣の人の会話が気になるとか,電車でかわいい女性(もしくはかっこいい男性.魅かれる異性ということです)をついつい見てしまうとか.
見てははいけないような気がするけど気になる,何となく盗み見ている感じがする,ちょっと悪いことをしているなという罪悪感.
この映画の「居心地の悪さ」はこういう感情から来てるのではないかと思います.
僕が一番これを感じたのは,何でもないシーンなんですが,オダギリジョーさんが真木よう子さんを車で送るシーン.空気がものすごいリアルで,居心地悪いです.
そしてもう一点.この映画はどうも,「試されている」感じがするのです.
人間の嫌な部分が婉曲的に描かれています.直接的でない分,見る側が好きに解釈していいですよ,という感じ.
映画の捉え方によって,見る側自身の人間性が垣間見えてしまう,というか見させられてしまう,のかなと思います.これが映画に「試されている」感じがして,ちょっと腹立たしいのです.
ラストシーンが一番わかりやすいです.映画の結末を言ってしまうなんて不興なことはあまりしたくないので詳しくは書きませんが,僕が思うに2つの解釈が出来るようになっていて,どう捉えるかによって,その人がいい人なのか悪い人なのかが,ちょっと見えてしまう.
僕はというと,まず真っ先に,解釈を観客に委ねてるんだな,なんて思ってる時点でロクな人間じゃないですが,それを抜きにして考えても,悪い解釈の方が先に思い浮かびました.うーん,居心地悪い.
と,「居心地の悪さ」を頑張って説明しましたが,うーん,どうもうまく伝えれないなぁ.冗長になってしまったし.というか映画観てない人には何言ってるかさっぱりわからないだろうな.自分の説明力,文章力のなさに,ほんと嫌になります.
それ以外の感想はというと,まず観ていて黒沢明監督の「羅生門」を思い出しました.雰囲気がちょっと似てます.あれも気持ち悪いというか,不安な感じがする映画だったなぁ.
それと香川照之さんは,僕の大好きな俳優さんなんですが,相変わらず素晴らしいです.芝居的には主役ですね.彼の演技がまず第一にあるからこそ成立してる映画だと思います.
ただ,香川さんの異常性を際立たせるためには,まわりの役者さんは至って「普通」でなければならないわけで,「普通っぽい芝居」ってのは一番難しいんではないかと思います.オダギリさん,真木さんはじめ,まわりは見事に「普通」を演じているわけで,これもすごいなと思います.
そして彼らの「普通っぽさ」が,先に言った「リアルすぎる居心地の悪さ」を生み出しているのかな,とも思ったります.
