統一メンバーの基本は、一応「聖書」ですので、
基本中の基本ということです。
難しいお話は致しませんが、
このこともわからずに、原理、み言を語っていたとしたら、
いい笑者であり、恥さらしと思いまして。
どんなにそれらしく素晴らしい?ことを言われましても、
「中身のない人」ということになります。
(すでに前々から、見抜いてはおりまして今更なんですが、突き付けてみます)
いいですか、私が言っているのではなく、
イエス様が言っているのですよ。
(鶴子お母様が夫よりもメシヤと崇めているイエス様からですからね)
私はちょっとまとめてみただけです。
話題は「律法学者」です。
聖句をいくつかあげます。
・・・・・・・
〈マルコ福音書 12章 38~40節〉
38 また、イエスは教えの中で言われた。「律法学者には気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩きまわり、広場で敬礼されるされることや、39 会堂の上席、宴会の上座に座ることを好み、40 寡婦の家を食いあらし、見栄で長い祈りをする。このような者たちは、誰よりも厳しい裁きを受けるであろう。
〈ルカ福音書 20章45~47節〉
45民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、 46「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、 47やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。
・・・・・・・・
☆ 律法学者とはどういう意味?
律法学者とは、今で言うところの「職業」ではなかったが、もっぱら律法を学び、研究して、旧約聖書の中の神のみ教えを説き明かす存在であった。 ユダヤ教当局の正式な見解としては、律法を説き明かすのは大祭司を頂点とした祭司たちの仕事であった。
https://www.wlpm.or.jp ›
これらの聖句は何を言っているかというと、
簡単に言いますと、
律法学者の「傲慢さ」を伝えています。
ですのでイエス様は弟子達に伝え、
そしてキリスト教の礼拝や教会学校の教材にも、
よく指定されるほどです。
もうちょっと分かりやすく言えば、
「律法を学び解き明かす・・・」役目ですが、
語るだけ語って、行動がないということを非難しているわけです。
どこでしたっけ?
天国は地上で行動した者が行くところ、
そして、
神様、神様というものが天国に行く所ではない、
とも、言われていましたよね。
(聖句がどこだか忘れたけど、私の中にはちゃんとあるのでした)
聖句によると、どこでも律法学者に対して、
手厳しい内容が記されております。
「誰よりも厳しい裁き、もっとも厳しい裁き」とあります。
ご自分では「律法学者になれる」と自称される方は、
内的にも優れ、なおかつ実生活や家庭において、
行動で示さなければ、
本当の意味で天から願われる「律法学者」ではありません。
だだたんに、
「私は偉い!聖句・み言・原理を知っているぞぉ!」と
騒いでいるだけでは、どこまで役に立っているのかわからないのです。
現に原理講師と言われるメンバー達は、
み言・原理を語っているのに、多くが離れている人達が多いです。
要はコピーだけで、行動してないので、身についてないのですね。
だからお父様は原理を語ることよりも、
行動して結果を見せることをよしとしたはずですよ。
(基本的な良いことは、ほぼ誰でも言って知っているが、行動に移すことは本当に難しい面があります。でも100%できるというよりも、そこに向かって進むことが大切なのだと思います)
聖書ではこのように言っています。
彼らは「言うだけで、実行しない」。教義はあるが、それを実現する力がない。そこに偽善が生れる。福音はパリサイ派の教義を否定するのではなく、それを成就完成する力として来たのである(マタイ5章17節)。
これらの聖句は、キリスト教、クリスチャンに限っての内容ではなく、
普通に生活する人達にとっても、当たり前のことであると思います。
(これらに近い格言や他宗教の教えがたくさんあります)
私が感じて思うことなのですが、
人という者は素晴らしい内容の話を聞くことも復興するんですが、
それよりも、その人の人生で経験したことを、
笑いあり涙あり苦あり、悔しさありで、
さまざまなことを後になり話してくれた方が、
情が近くなるということです。
話してくれるということは、乗り越えて今があり、
結果はどうであれ、
感受しながら前に進もうとしているからだと思います。
素晴らしいことを話しても、
律法学者のように他人のコピーだとしたら、
行動してませんので、人格は育っていないことでしょう。
(私はそういう人には、まったく屈服しないし、なんの見本にもなりません。み言が生活の中に溶け込みながら話してない人は、み言をいくら語ってくれても響かないし面白くもないし、共感もしません)
上の二つの聖句の前の聖句の部分を読むと、
律法学者達は、イエス様に手をかけようとしているところでした。
(恐ろしやぁ〜。良いこと語っていても、心は腐っていたのですよ)
それでもあなたは、「律法学者になる、なれる」と、
自慢、偉ぶりたいのですか?
2000年前?の律法学者?は旧約時代ですよ。
当時のメシヤ・イエス様を殺そうとしていたのですから・・・
しかしね、理解しました。
家庭連合の狂信メンバーの中には、
お父様を殺しているという同じ霊界を持っており、
統一家で言われているメシヤを、
ないがしろにしているということになります。
お母様はイエス様を、夫であるお父様よりも夫のように思い、
(イエス様は新約時代であり、統一家はその後の成約時代。より新しい真理を壊したいということになるのではないかな?)
女メシヤであると主張していますから。
Nさんのコメント欄でPさんが言っていて、
私は腹を抱えて笑ってしまいました。
「何を抜かしているか?これが正体なのね。
自分で何を言っているのかわかっているのだろうか?笑笑・・・」
「私は2000年前の律法学者にもなります。」
時代遅れです・・・
新約時代どころか、旧約時代に逆戻り・・・
統一家の責任者達、原理講師達、
偽善者、傲慢にならず、律法学者はいけませんよ。
「厳しい裁き」を受けるとイエス様が言っています。
お父様をもっと証さなくてはなりません!
「ポチッ」としてくれたら嬉しいなぁ。
↓↓ ありがとうね。

☆ オンライン訓読会