小学4年生に進級したばかりの4月半ばのある朝、
立てない(もちろん歩けない)、しゃべれない、力がまるきり入らない状態となり、かかりつけ小児科から大学病院 小児科へ。
私はこの頃から意識は無し。
小児科の外来で横になっていたようだという記憶がわずかばかりある程度。
即入院。
連日40度を超える熱で全身氷漬け。
病名は脳幹脳炎
自発呼吸が出来なくなり、緊急手術で気管切開
ーよく間に合ったなあと思うー
担当医と教授
「どうにもできません。祈るしかありません。
もし助かったとしても、植物状態になるか重度脳障害となるでしょう」
父も母も修羅場だっただろうなー。
親族も、その後のこと(葬儀など)を考えていたようだし。
しかし、父と母の祈りが届いたのか、私の生命力なのか、20日間ほどの昏睡状態から、目覚めた。
昏睡状態時は恐ろしい夢もお花畑の夢も三途の川らしき夢も見ていたんですよね。
で、体と頭の状態はというと、一応普通に認識は出来た。
気管切開されていたため、しゃべることは傷がふさがるまでは出来なかったけれど、あいうえお表で意思疎通は出来ました。
立ち上がって歩くこともしばらくのちには出来ました。
脳の方は、この後わかったんですが、機能低下してましたねー。記憶機能が壊滅的(笑)勉強ダメダメに。
スポーツも基本NG。
しかしこの生死を彷徨う病気のおかげで、母の意識が変わったそうです。
勉強ができる優秀な子。鳶が鷹を生んだ。とやや高くなっていた鼻なんか自分でへし折り、
「生きていればいい」となり。
結果、私はまんまのまんま(無邪気)で生きることとなった(笑)
しかーし!
神は、それだけで終わらせてくれなかった。
なんだかんだと後遺症15年。
自分の体が思うように動かなかったり(手や足が意志とは違う動きをする)とか、強烈な偏頭痛とか、皮膚疾患も。
後遺症が強く出ていた10代半ば~後半は
「なぜ死ななかったの?」
「死んだほうがよかったのに」
と幾度も思いました。
「生きて!の祈りが通じた」と言っていた母が恨めしかったです。
「祈りなんかしなければよかったのに」とね。
普通になれたと自覚したのは発症から20年後(以下参照)。長かったよー。
(皮膚疾患はこの後も続いてましたけど、これは諦めた)
学校に行けなかった日々もありましたが、結婚もしたし、子どもも生んだ。
そして、念願の運転免許。
体の動きがコントロールできなくなるようなことがあっては運転なんか怖くてできないわけで。
その症状が最後に出たのが25歳の頃。
で、その後5年様子を見て、この5年1度も発症無しだ、よし取ろう!と30歳で運転免許取得のために自動車教習所へ。
教習所ですべての試験をストレートで、免許センターの試験も一発で取得することが出来ました~!(記憶機能は戻っていたようでした 笑)
この時の喜びは忘れられません。
地域性もあると思いますが、周りの人はみな18歳で取得していましたからね。
「普通になれた」という喜びでした。
今じゃ、広島ー新潟間を車で移動できる。
当時の私には想像もできないことだわ。
成人してからも
蜂窩織炎、帯状疱疹、掌蹠膿疱症と(漢字ばっか)と発病。
蜂窩織炎では入院までして。
でね、掌蹠膿疱症をやったときに気づいたんですけど、どんなに食事に気を付けていてもストレスで体は壊れるんだ、と。
当時の私は、免疫系にかなり効果の高いサプリメントを摂っていたんですよ。(免疫や活性酸素・抗酸化の勉強もかなりしました)
それによって長年悩んでいた皮膚疾患の一部も改善されてはいたんです。
けれど、強烈なストレスはそんなの無意味。効果無し。
そして思い出したのです。
小学4年、脳幹脳炎を発症する少し前、とてもいや~なことがあった、と。
4年に進級時にクラス替えがあり、クラス委員に決められていたということ。
これがとんでもなくイヤだったんですよね。
1年生の時もやって、その時すごく嫌だったの。
無邪気バカな私ですけど、責任感も強いのです。
で、1年生、みんな自分勝手に行動するでしょ。静かにすることも無かったり。
そのカオスな状態に責任感を感じてイヤだったんだよねー。
その強いストレスが、脳幹脳炎の発症の大きな原因だったと思い至ったのです。
だから今の仕事(シンプル人間学®/個別サポート&講演)なのです。
自分の状態を好くすること。
ストレスを抱えない・持続しない自分になること。
適切な考え方を身に付けることが出来たら自分も周りも好くなる。
すべてがスムーズに流れる。
この仕事を始めてからというか、シンプル人間学®のメソッドの生き方を始めてから、病気らしい病気はしていません。
インフルエンザと口唇ヘルペスをやったくらいですね。
病院に行ったのは11年間に2回のみ。
でも不思議よね。
脳の疾患をした私が、思考とか行動とか脳の使い方に関する仕事をしてるなんてね。
これをやるためにこの病気だったのかもしれないけど。
あ、そうそう、掌蹠膿疱症の頃にはストレス性うつっぽいのもやってます。
自覚してから、いろいろ情報を集めて2週間で自分で普通の状態に戻しましたが、こちらもまた次の機会に。
長くなった・・・
最後までお読みいただきありがとうございました。
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シンプル人間学®(個別サポート)
広島在住(厳島神社対岸)、新潟市出身