愛とは犠牲的? | 本当の自分を生きるシンプル人間学®

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「愛とは時に犠牲的」
と、おっしゃった方がいて、

それに対して私はピンとこなかったんですよね。

 

どうも腑に落ちないな、と。

 

その理由が最近分かったんですよ^^;

 

私にとって大切な人(子どもや家族や友達や知り合いも含めて)の幸せのために自分を抑えることは当たり前だから。

 

大切な人たちのための我慢なんて当たり前。


だから、我慢してるとも犠牲になってるとも感じない。

子どもがお腹が空いたら自分より先に与えるし、家族が体調不良なら看病するし、真剣に相談して来る人がいたら話を聴く。

今この瞬間に最優先と思うことを優先してるだけ。


私にしたらごく自然。
そうでないことが不自然。


その瞬間の自分の立場を理解できていれば、不満も発生しないと思うんですよね。

 

でもそうじゃない、そう思えないらしい人も多くて。
そういう方は犠牲になってるとか我慢してるとか感じてしまうんでしょうね。

 

いつでも自分最優先の行動をしていらっしゃる方も目にしますもんね。
 

 

 

そんな私ですが、
無意味な我慢は大嫌いです(笑)


我慢する必要無いことで我慢するとか、犠牲になるとか意味わかりません。
自分で責任持てること、誰かに迷惑が掛からないことなら、我慢する必要ないですよ。

 

それなのに、『我慢しなきゃ』『我慢すべき』とか我慢を美徳的に言って、自分に自由を与えていない人に限って不満が多いですね。


不満が爆発する前に気づいて欲しいと思います。

 


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