ダビデの歌
139:1 主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
139:2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
ダビデ王が、「主よ」と呼びかける「主」ヤーゥェとはヘブル語のBE動詞で、「ある」「存在する」という意味であります。人間は「ある」者ではなく、あらしめられている、存在させられているだけで、その証拠に明日も次の瞬間も必ず「ある」「存在する」とは言えません。
しかしダビデ王が呼びかける「主」は正に永遠に「ある」「存在する」お方であります。
『探る」のヘブル語の意味は「捜す、捜し出す、徹底的に調べる」という意味を持ち、
藤堂語源辞典による「探」は「穴の中に火があり、手でそれをさぐるさま」、基本的意味は「奥深く入り込む」であります。
主はダビデ王の、また人間の心の奥深くまで徹底して完全に知っておられるお方であります。
またキリストの十二弟子のひとりペテロの心の奥深くまでまたどのように行動するかさえ完全に知っておられるお方であります。
わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 コリント人への第一の手紙 13:12
人間の知るところは完全ではありません。しかし主は完全に知っていてくださる。
ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。 ヨハネによる福音書 13:37, 38
自分を完全には知らないペテロは
愛する主のためならば、命をも捨てると明言しました。
しかしその数時間後には愛する主のことを、そんな人は誓って言うが知らないと否定するのであります。
これから先、何をするか分からない、その弱さも失敗もみなご存知でその上で愛してくださるのお方が主である。人間はそうはいかない。
そういう失敗、挫折、自己嫌悪の場所でこそペテロは、私たちは
神の御子が私たちの罪のために
死んで下さったことを知るのであります。
ダビデ王は家臣の妻バテシバと姦淫の罪を犯し、その上忠実なその家臣ウリヤを故意に戦死させる大罪を犯し悩み苦しみます。
しかし誰も知らないダビデの罪を知ってずばりと突き、救いに至る悔い改めに導かれるお方が主であります。
どうしょうもない罪人のいっさいを引き受けてわたしと神の子の身分を取り替えて下さったお方こそ神のひとり子イエス・キリストであります。
山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。 イザヤ書 54:10
神の御子の十字架の血による一方的な契約により人類の罪からの救いが成就してしまっているからであります。
人間の側では幼子のようにただ信じることだけが、受けることだけが求められているのであります。
失われたイヤリング
名古屋駅セントラルビル13階
レストラン
モクモク自然食レストラン
美味しい!
となりの席で女性二人が楽しく食べていたが
小さいイヤリングを落として私たちの席まで探したが見つからない。
諦めた。
もうひとつ隣の席の人達が帰ったので、そこを徹底的にさがしたら見つかった。
その女性はたいへん喜んだ。
それで思い出した。
失われた銀貨を見つけ出して大喜びする女性
の話を主がされた。
失われた銀貨は神から離れた人間、
探し出して大喜びするのは神と天使たち。
レストラン
モクモク自然食レストラン
美味しい!
となりの席で女性二人が楽しく食べていたが
小さいイヤリングを落として私たちの席まで探したが見つからない。
諦めた。
もうひとつ隣の席の人達が帰ったので、そこを徹底的にさがしたら見つかった。
その女性はたいへん喜んだ。
それで思い出した。
失われた銀貨を見つけ出して大喜びする女性
の話を主がされた。
失われた銀貨は神から離れた人間、
探し出して大喜びするのは神と天使たち。
