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「エール」どん底に大地あり

<エール>(第95話・10月23日金曜放送)
どん底に大地あり。

永井 隆は、日本の医学博士、随筆家。『長崎の鐘』や『この子を残して』等の著書がある。

生年月日: 1908年2月3日
出生地: 島根県 松江市
死亡日: 1951年5月1日, 長崎県 長崎市
配偶者: 永井緑 (1934年 - 1945年)

「どん底に大地あり」永井隆

2020年10月26日27日この二日間
住居問題絡みの人間関係の心の嵐の中でなかなか自分への愛想が尽きなかったが、今回は自分につくづく愛想が尽きた。
絶望。
どん底まで落ちてそこで主の素晴しい業を体験できた。

下には永遠の腕がある。(申命記33:27)
感謝。

天声人語、そこつ者、そそっかしい人

天声人語に落語の粗忽(そこつ)長屋が
引用されていた。以下。

落語の「粗忽(そこつ)長屋」は奇妙な噺(はなし)だ。十八番(おはこ)にしていた五代目柳家小さんに言わせれば、八五郎は気が短くてそそっかしい。兄弟分の熊五郎は気が長くてそそっかしい。この2人が繰り広げる不条理劇である。

浅草の観音様からの帰り、八五郎は行き倒れに出くわし、「熊の野郎だ」と思い込む。しかも「当人」を連れてきて身元確認させると言い出す。荒唐無稽だ。「おめえ、昨夜(ゆんべ)死んでるよ」。八にそう言われ、熊も次第にそんな気になる。そして2人で遺体を引き取りに……。

長屋にいるのに路上にもいる。生きているのに死んでいる。明白な矛盾が見えない2人。当然、町内の世話役たちとは話が全く通じない。不気味といえば不気味な世界を、抱腹絶倒の一席に仕立てるのだから、落語という芸術は奥深い。

熊五郎は最後、「自分の」遺体を持ち帰ろうと抱きかかえる。訳がわからなくなってくる。「抱かれてんのは確かに俺だが、抱いてる俺は一体誰だ……」というのが、この噺の下げである。
以上

この落語で思い出した事を以下に。

そこつ者、粗忽者とは
早合点などしてすぐ行動し失敗する人、とあるから、

粗忽者をキリストの弟子の中から探せば、
早合点で失敗の多いペテロ。
和風ペテロが八五郎、熊五郎、そして私。

「おめえ、昨夜(ゆんべ)死んでるよ」と八五郎。

この言葉で思い出したのは、

八五郎ならぬパウロの言葉、

このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
ロマ6.11

あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
ガラテヤ5.24

なかなか死んだ者と認めない、
その結果、

自分中心な肉と人間の情愛と欲に囚われる、振り回される。

つくづく自分の信仰ではなく、
信仰すらキリストの信仰、
それが有り難い!

パスポートのトラブル

イスラエルの死海から取り寄せたという塩をいれた温泉、 御殿場時之栖 、で浮いている。塩分濃度33%。

死海といえば二十年ほど前、
そこで浮いたことがある。その後、パスポートを見失い、真っ青!
浮かんだ、どころではない、
深く沈んだ。

何度も何度も探した。
同行の友人にも話した。ない。いよいよ明日はエルサレムの警察に行くしかない、

と思って腹をくくった。

その時、腹巻にパスポートを大切にしまったことをわすれていた!
やれやれ!

パスポートがなければ入出国がままならない。
神の国へのパスポートは神の御子が十字架の計り知れない苦しみで用意して下さった。

パスポートは十字架を信じます、という信仰だけ。

信仰義認。

人間の行為による自己義認は全く通用しない。
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