blueのブログ

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霧積温泉から鼻曲山に登って来ました。

軽井沢から旧道で碓井峠を下ると現れる「霧積温泉」の標識が学生時代からずっと気になっていて。森村誠一さんが宿泊し鼻曲山で広げた宿の弁当の包み紙に刷られていた西条八十の“帽子”から生まれた『人間の証明』の舞台に40年来行ってみたいと思っていました。

深夜便に高瀬アナ初登板。加賀美さん、桜井さん、森田さん・・そうそうたる「先輩方がどうか寝ていますように」。(笑)

癒し成分で眠くなり上里SAで休憩。上信越道を松井田妙義で降りる。荻野屋さんの駐車場は仮眠できそうもない。18号を進むと長い直線の登り坂の両側に灯篭のような明かりが並ぶ。『千と千尋の神隠し』の世界のようなこれが旧坂本宿。坂本宿を過ぎても公衆トイレなし。一旦霧積湖の先まで行ってみるが擦れ違いもできない狭さになり怖くなり戻ることを決心。18号を戻ると金属落下音?まさか先日の修理ミスではなかろうな。ヘイトヨタで最寄りの公衆トイレを訪ねると結局妙義山の道の駅みょうぎとな。着いてみれば数年前に妙義中間道を歩いた時に訪れた場所だ。数台仮眠のクルマが止まっている。妙義に登られる方々だろう。できるだけ静かに、ライトで照らさないよう駐車スペースを探す。トイレを済ませオニギリを一つだけ食べてシュラフを被る。もう暖房は要らない季節になった。

04:30に目が覚める。寝るのが遅かったのでもう少し眠りたいところだが諦めて起床。日の出に向かい赤く染まる妙義山。中腹に大の字が浮かぶ。このまま妙義登山に切り替えてしまおうかとも思うが。18号に戻る途中の橋の上からこれから向かう鼻曲山方面の山塊が見える。坂本宿に公衆トイレ発見。ここに止めればよかったかも。霧積への標識を北へ。旧信越線上下線を潜る。霧積湖をかすめるとギリギリ1車線。退避帯はあるがバックは辛い距離。路上には大き目の枝が散乱。踏むとボディーに傷を付けるかも知れないが一々避けられない。ぐるぐるカーブを重ねて途中金湯館への林道ゲートを右に見ると広い駐車場に到着。先行3台。着替えとストレッチは道の駅で済ませたので日焼け止めと虫よけを塗りいざ出発。と、ところがポールの1本の上のスクリューがどうやっても緩まない。四苦八苦していうちに次の1台が到着し早々にペアのパーティーが出発して行った。止む無く下のスクリューをギリギリまで伸ばして固定。横から力掛けたら折れてしまうかも知れないがなんとか左右バランスの取れる許容範囲の長さにした。

金湯館まで約1km、20分と案内のあるホイホイ坂を登る。林道までは丁度良いウォーミングアップだ。金湯館まで続く電柱はちょっと興冷めだがこの山奥にどうやってこんな太っい電柱を運んだのだろう。鋼管で継ぎ目が見えるのでここまで運んで来てから繋げたのかな?そんな事を考えているうちに林道に出る。ここから先は登山道らしくなるが今日は急ぐ行程でもない。ゆっくり行きましょう。一回だけ先行の後ろ姿が見えた。登りはひたすら先日再会した「雪の時刻」が頭の中に流れ続ける。本当に楽しいことばかりの時代だったなぁ。“霧積“の標識が気になったのもあの頃かな。軽井沢は色んな季節に訪れた。冬が良かったな。赤川次郎の『失われた少女』の世界そのものだった。カミさんと初めてスキーに来たのも確か軽井沢プリンスコテージ。先輩に頼んで誘ってもらったのだった。気づくと鳥の声に包まれている。よく聞く鳥の声だが。記憶力が弱いので花と鳥の名前は調べようとも思わない自分がちょっと恥ずかしい。頭上は新緑なのに足下は落ち葉のラッセルで秋山を歩いているよう。下りで膝には良さそうだが登りではロスが辛い。新緑が美しい。春の山はいいなぁ。つい先日まで雪解けが悲しかったけど・・・。傾斜の緩急を繰り返すこう言う道だと休憩のタイミングをつかみ辛い。結局1時間以上経って1272m地点で一本目の休憩(こに時点ではPROTREKはヤマレコでトレースできていた)。

傍らの倒木に腰を下ろす。

すぐにグローブに小さな尺取り虫が落ちて来る。春ですね。家の中でこんな虫が出たら・・・。長年霧積に来られなかったのは山歩きを離れていて行く理由が無かったのだな。ドライブでは来られない。かと言って温泉に泊まるためだけに来る歳でもなかった。結構高度は稼いだはずだが鼻曲峠はどれ位先なのだろう。もしかしてもう通過してたり?そんな甘くないか。出発すると急登が現れる。これが天狗坂か。とにかくゆっくり味わいながら登ります。砂が崩れるのでロープを頼りに登る所が一つだけ。鼻曲峠はいつの間に過ぎたのか。どんどん山頂が近づいて来る。分岐を過ぎると突然山頂標識が現れた。奥のピークの岩に立つと・・妙義山、榛名山、赤城山、皇海山、日光白根山、恐らく武尊山燧ケ岳の辺り、浅間山は見えないが富士山は見えている。北側に回ると先日巡った草津白根山、横手山、志賀高原よ。西方に北アルプス。白馬、劔辺りも見えている。中々の展望。しかし何と言っても南側の角落山の尖塔が目を惹く。その手前に今日歩いた緑の山並みが続く。霧積から随分遠かったな。こうして見てもコースタイム以上の距離に感じる。その向こうの妙義辺りから秩父まで気が遠くなるほど広い山地が続く。関東にはまだいくらでも歩く所がある。写真を撮っていると男性ハイカーが到着。二度上峠から入られたそうで浅間隠山は人が沢山いたがこちらは誰にも会わなかったそう。霧積からと伝えると「大変だったでしょう」。東京から来たと言うとびっくりされた。鼻曲山って東京から来るほどメジャーな山じゃないのかな。「『人間の証明』の舞台を見たくて・・・」「金湯館ですね。林道に出たら350m。お湯が温かった気がするなぁ」「今日は丁度良いですね」

湯を沸かしましょう。今日はカレー味カップヌードルとアンパンマンパンに苺味。ここも虫が多い。麺と一緒に食べてしまっているかも知れない。虫よけたっぷりスプレーして来て良かった。熊除け鈴の音が聞こえ次のソロの男性が到着。霧積から入られたそうで「デリカですか?」「赤いシエンタです」「あれ?1台しか止ってなかったな」えっ、シエンタくん盗まれてしまったのか?「霧積からだと結構アップダウンがありましたねえ」「もう少し視界が開けていて欲しいですね」「ここは大天狗のピークで小天狗はもっと視界開けているみたですよ」「行ってみますわ」

山頂からの踏み跡は2箇所。一つを降りてみるがどうしてもその先にトレースが見つけられない。私の力量では安全に下れないほどの斜面。滑落する恐れがある。戻る。もう一つの踏み跡に入ってみるがやはり明らかなトレースは見つけられない。これが私のルーファイの限界か。戻る。二人で地図を見ると確かに小天狗には“眺望良い”とあるが、そもそも大天狗の位置が分かりづらく小天狗がどちら側にあるのかはっきりしない。もしやと登って来た方向へ少しもどり分岐を西に進むと果たして視界が開ける。小天狗は二度上峠へ向かう稜線の途中だったのだ。

南東側の視界が広がる。八ヶ岳、左側に南アルプス、そして軽井沢の街並みが小さく見える。浅間山は木立を透かして見える。山頂まで戻り先ほどの方に小天狗の場所を教えよう。と、交信中ではないか。しかもハンディー機に立派なアンテナを付けている。名前、現在地、レポートだけ伝えて終わる交信も多いのだが、偶に長々とお話する方もいる。今は後者のタイプの方との交信のよう。下ります。分岐を南へ。考えて見れば、さっき最初に小天狗を探した方角は無理があった。鼻先を下ろうとしたのだった。先ほどの方にコールサインだけでもお聞きすれば良かった。次回以降の山行の楽しみにもなるし。いや待てよ、今から交信して小天狗の場所を伝えられたらラッキーと思いつき無線のスイッチを入れる。山頂間(雲取山と蓼科山とか)の交信が多数傍受できるがすぐそこからの強力な電波はヒットしない。聴き続けると皆さん“そーた(?)リスト群馬県のxx番xxx山山頂です“と説明されている。(帰宅後調べたらこれでした

https://www.kawauchi.homeip.mydns.jp/sotajp/前からオジサン登山者かトラック野郎さんの交信が多かったですがこんな遊びが始まっていましたか)

霧積ノゾキを過ぎて何気にPROTREKを見るとログが取れていない。スマホのスクリーンも停止している。YAMAPがPROTREKのサポートを再開したけれどスタンドアロンではなくヤマレコ同様スマホ接続が必要になってしまったのでどちを使うか毎回迷う。今日はYAMAPでスタートしたが山頂でカメラを使ったからだろうか。どっちかスタンドアロン化してくれないかなぁ。止む無く山と高原地図アプリを起動。

右側が広い扇方の谷が開けた場所に来た。新緑の巨大スクリーンだなぁ。『帽子』の風景はこんな感じだったろうか。

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。

 

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。

 

下りはずっと「THE PLOOF OF THE MAN」が頭の中を流れる。ジョニー大倉の歌は夏を感じるが、『帽子』が夏の記憶を振り返る今は冬だったか。西條八十氏は中高の大先輩である。第二校歌は古関裕而氏との共作と言う贅沢さを在校時は全く理解していなかった。『人間の証明』は1977年10月8日公開の角川映画。影響されて興風際の学年企画で映画作ったのは中三だったのかな?そう言えばT君(確か劇団ひまわりに入ってNHKの『二十四の瞳』の生徒で出演していた。大学時代に馬場で声を掛けられたっけ)は元気だろうか?林道に出た。金湯館へ向かいましょ。前方に「この下150m」の看板。標高じゃなくて距離であることを祈りつつ下る。すぐに赤い屋根が見えて来てほっ。沢の対岸に幾つかの建物が渡り廊下で繋がっている。この景観は想像していたとおりの“霧積”だ。廊下の手前で洗濯ものが風に揺れていて『老害の人』の夏川結衣似?の女性が忙しく働いている。赤い橋を渡る。水車は壊れかけているが趣がある。

「いらっしゃいませ」夏川結衣さんから声を掛けられる。「お風呂入れますか~?」「はい、どうぞ」「荷物は・・・?」「お客さまお一人なのでこちらの椅子の上でもお風呂場に持って行っても・・」700円也。ずっとトイレに行きたかったのをすっかり忘れて風呂へ直行。貸し切りでした。湯舟からお湯がジャバジャバ溢れ出ている。山の中でシャンプーもできるのは有難い。湯は丁度良い温さでゆったりできる。山の帰りに温泉に入ったのは昨年の入笠山以来だろうか。コロナ禍以降家族旅行は言っていないし、山を満喫した上に一人だけ温泉に入るのは申し訳ないのだが、今日は歩行時間も短いしこの宿がお目当てだったのもあるので良しとしよう。森村誠一さんもこの湯に浸かったのだろうな。開け放たれた窓の外は新緑。この谷を歩いてからあの西城八十の詩を目にしたら『人間の証明』のインスピレーションが湧いたと言うのもちょっと納得。さて、この宿ではお土産は得られそうにない。碓氷峠辺りに行けば店があるだろうかなどとぼんやり考えながらまだ道程は残っているが湯舟でストレッチ。風呂から上がり街着に着替えようとするが靴下を忘れたようだ。汗だくのものを履く気にはならず、仕方なく冬用だが登山用の替え靴下に履き替える。トイレを済ませて玄関へ。風呂上りに一杯(ジュースで)行きたい。自販機でQoo買いたいけど“強くボタンを押してください”の張り紙。お金を入れてもQooが出て来なかったら気まずい。「お世話さまでした~」と声を掛けて出発。林道まで登り返す。岡田茉莉子一家もここをクルマで通ったはず。“ホイホイ坂”を下る。地図では急坂となっているが登山道としては緩やかな方だ。出来るだけ長く山の中に居たいけれど、アプトの道も見て行きたいし、今日は帰ってからも家族サービスが待っている・・・谷を惰性でどんどん下る。考えて見れば今日は山頂での昼食時以外フリップサイングラス下げることは無かった。ずっと新緑の林間だったのだ。ゲートが見えて来て駐車場では赤いシエンタだけが寂しそうに待っている。皆さんお早う下山されたのだ。

いざ出発。擦れ違いも儘ならない細い林道を恐る恐る下るが、この時間に登って来るクルマはいないようだ。霧積湖を過ぎると右手に並行する線路。架線が残っているので恐らく信越線の新線。我々はここをエル特急あさまで通っていたのか。18号線に出る。正面に妙義山塊の威容。力餅屋は結構賑わっている。右折して進むとめがね橋の駐車場も混みあっている。熊ノ平駐車場はガラガラ。階段を上がると信号所。軽井沢側のトンネルの先に急こう配の線路が伸びている。スキーの師匠だったO宮さんといつか歩いて見たいと言っていたアプトの道だ。シェパードを釣れた男性が「体力無いなぁ、本当にシェパード?」と語りかけている。「ワンちゃんは暑いよねぇ」見ればお散歩グッズは持っていないよう。私のほうじ茶を上げても良いがワンちゃんに天然水はよくないと聞いたことがある。歴史を感じる変電所だなぁ。殉職碑の説明では鉄道事故ではなく大規模な土砂崩れにより犠牲になった職員と家族のもの。隣でワンちゃんも一緒に読んでいる(?)。遊歩道は3つ並んだ内一番右の10号トンネルへ。中はヒンヤリする。せっかくダウンロードしたマップをクルマに置いて来てしまった。確か6号トンネルが見所だった。トンネルと橋を交互に抜ける。6号トンネルは長くて一番涼しい。途中に窓があり、天井にも一つ。出口は見え30mだそう。劔のカニの縦ばいはこんなに高かったのか。帰路は登りとなりアプトの道を実感。確かに鉄道には厳しそうな傾斜だ。擦れ違う老夫婦が「案内の人が言ってたじゃない。帰りの方が早いって。」そう、めがね橋側から歩き始めれば帰りが下るので楽だったのだろう。陽光の下でも誰もいなくなった熊ノ平信号所は物寂しい。新幹線の開通以来ずっとこの時が流れているのか。駐車場に下り男性用トイレのドアを開けると・・・。

18号の碓氷峠には何も無くすぐそこが軽井沢駅。これではお土産が・・・。見晴らし台に行って見るか。ナビに設定して進むと軽井沢教会テニスコート裏の行き止まりに案内してくれた。何じゃこのカーナビは?もしかして太陽フレアの影響?舗装路までバックで戻るとちょっとお金持ちそうなご婦人がワンちゃんをカートでお散歩中。“何よこのクルマ?東京の田舎者が!”と言う視線を感じる。ショー記念礼拝堂前を通り次第に細くなる道を進む。見晴らし台への駐車スペースは満車。旧碓氷峠は碓氷山荘の駐車場は食堂を利用しないと500円。見晴らし台は20代の終わりごろに来たのが最後かな。妙義山は鼻曲山からも良く見えたし今回は諦めましょう。二手橋公衆トイレに立ち寄り旧軽のホコ天を迂回するといつか来たパワーストーンのブレスレットの店の前を通過。息子がピアノの先生に健康を心配されていた頃買わされた。一つ買ったらもひとつプレゼントと言う怪しげな店だったが。二人とも着けてるのを見たことが無い。街中は無料の駐車スペースなど無く

LINEで妻にお土産相談するも沢屋しか思いつかない。少し中軽方面に走り渋滞に嵌る

その間に何本も新幹線が通過して行く。バイパスに出るには右折してランプで立体に上がるようになっていた。沢屋は昔どおりの造り。清見ゴールドママレード、ブルーベリージャム、ラ・フランスジャム。ちょっと季節のお薦めとは違う組み合わせでゲット。自販機で八ヶ岳高原牛乳を飲む。さあ帰京。懐かしきアリスの丘はもう無い。

https://ameblo.jp/white-camellia2008/entry-12835885759.html

森村誠一さんも訪ねていたのか。https://www.instagram.com/p/CvJgy3dhipa/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

森村桂さんの知らせを聞いた上皇后さまもさぞお辛かったであろう。

プリンスと72の間を抜けて軽井沢ICへ向かう。高岩が凄い迫力で迫る。八風平キャンプ場。高岩の景観は素晴らしいが峠登りのバイクが煩いかも。横川SA。二週間前に食べたばかり釜飯はちょっとな。レストランは全部荻野屋だけど釜飯以外のメニューも豊富。スタミナ付けるため特性ビーフカレー美味し。渋滞は気になるほどでもなく外環、5号池袋線経由で帰宅。

 

とにかく新緑が素晴らしかった。

https://youtu.be/b6c1gsrnGJI

長年の夢、霧積訪問完了。

 

2220 自宅発    21℃

0150 道の駅みょうぎ

0440 起床

0432 発

0615 金湯館駐車場着 10℃

0640 発 14℃

0653 十六曲峠分岐

0800 1272m地点 16℃

0840 鼻曲峠

0856 鼻曲山頂 38℃

0955 小天狗

1052 1272m地点 18℃

1150 金湯館着

1220 発

1245 駐車場着

1345 熊ノ平信号所

1405 めがね橋

1432 熊ノ平信号所

1550 沢屋

1630 横川SA

 

400km