随想夜曲 『小説夢殿 「秋涙」』完全版をどう書くか | 異端のTourism Doctrine

随想夜曲 『小説夢殿 「秋涙」』完全版をどう書くか

随想夜曲 『小説夢殿 「秋涙」』完全版をどう書くか

 

2023年10月の時点で、わたしの作品集のダウンロードは百四十数件だった。三作品でこの数字。ダウンロードするまでもなく読むことが出来るのがe-pubooの良いところでもあるのだが、2024年5月27日。あれから七カ月が経過してのダウンロードは、既に420件を超している。7カ月で280件のダウンロードを頂戴したことになる。

 

都度都度、御礼の挨拶は書かせて頂くようにしているのだが、本当に頭が下がるのだ。

申しわけないやら有難いやら________。どのような思いを持たれてダウンロードして頂け、どのような思いを持たれて読んでおられるのだろう。私のような者が書く作品である。多寡はしれたところ。挙句、今の時点で読んで頂けているのはきっとご自身でも作品を書いておられる人たちだろうと推察する。要はプロの予備軍だ。

 

そりゃぁねあなた。満足な推敲もせずに書き殴っては次から次へとアップしたものが殆どであるからして、恥ずかしい限りなのだわ。

ただ、直近最後にアップした小説夢殿 「秋涙」令和六年版の完成度については高めることができたと感じている。

 "ここで終わりかな"、"これで次へと進めるかな"と思っていた矢先。

奈良県立美術館での不染鉄展の開催。

夢殿も掛けられるというではないか。

これを鑑ないわけにはゆかなかった。

鑑ると「秋涙」令和六年版の不完全さばかりが寝ても覚めても頭から離れなくなり、わたしは小説夢殿 「秋涙」完全版として書き上げることを心に決めた。

 

実弟の入院、壊疽による左足の切除から一か月、たった一人の弟である実弟は私の目の前で息を引き取った。文字通りこと切れるという言葉が相応しかった。先に泉下の人となっていた父や母は東京の実弟宅で手元供養となっていたものを大阪へと連れ帰り、家族三人を一緒に納骨した。一つの責任は果たせた。

さてではボチボチ書こうか~となったのが5月の15日ごろのこと。

書き出してはみたものの、手が止まる日が多い。いつも同じどころで手が止まり、思案を巡らせる内容も同じことばかりなのである。

 

つまらぬのだ。筆を入れるべきところは概ね決まっていたはずなのに、つまらぬのである。何度読み直しても感動に厚みがついていない。情動に働きかけるものがない。読み手の怒りであり、悲しみであり、憎しみや肝を冷やす心の動きが想像できないのである。どうにもやっつけのレベルから抜けることが出来ていない。

人間の一生とはこんなに平和なものか ? 96年という明治、大正、昭和を生きた人間の一生とはこんなに穏やかなものなのか。そう考えると手が止まる。

 

生きる事の価値と目的、鬩ぎと赦し、後悔と諦観のない一生は存在し得るのか。

おいおいおい、大衆小説ではなかったか ? どこへ行こうというのだ…… 俺

 

六月リリース ! ! 乞うご期待 ! !

『小説夢殿 「秋涙」』完全版

 

はぁ……

天才的な才能が欲しい。。。

惚れて頂けるようなものが書きたい。。。

今からギフテッドの能力を ! !

ちゃんと書き続けなきゃ。。。

まぁ、これから先はあたしの時間は書く時間なのだろう。