noteでみつけたnoteでは小説を書かない小説家 | 異端のTourism Doctrine

noteでみつけたnoteでは小説を書かない小説家

noteでみつけたnoteでは小説を書かない小説家

 

こういうご仁をみつけると宝くじにでも当たったような気分にさせられるから不思議だ。

ところが、当の本人は小説家を名乗ってはいない。それどころか自分の小説作品についても一切口を開かない。

 

掲載される原稿を眺めても自作については口を噤み古今東西の文学史に名を刻んだ作家たちや偉人たちの名言を披露し作をむすぶに留めている。

 

随分前からタダモノデハナイ感を感じていたので略歴をググると、やはり専門書を数冊リリースしておられることはわかった。必然であるが如く、言葉に関する専門書である。しかし自著による小説作品などがリリースされた形跡はない。
「では、お前の思い過ごしであろう。小説家ではないのだろう。たぶん小説など書いていないのだろう」概ねそう落ち着くのが常人の思考回路である。

 

しかし、ここの板主の回路は違う。プロとして書くべき人間であるかどうかは文章から漂う匂いがそれを感じさせる。あのね、一つの分野の高みにとどいた人間が放つ特有の匂いというものがある。肩から力の抜けた薄い匂い。一切のブレを感じさせず、何者の影響も受けない余裕。研ぎ澄まされた美への姿勢。一句一行にみせる己が美意識への執着と選択する言葉にみせる凝着姿勢。可能なかぎり削り落とされた細マッチョな文体は、ここの凡ての原稿にみられるような無駄に肥満をみせることは無い。

 

遅かれ早かれ出て来られるのだろう。
小説家としてであり、純文学作家として。
私が知らぬだけで、著名な文学賞の界隈ではすでに最終選考までその名を残しておられるのかもしれない。いつの日か出ていらした折には、ぜひ読ませて頂きたい作家さんと心待ちにしたい。

 

 因みにだが、純文学系の作家志望者がnoteで作品をリリースすることは少数派のようだ。この二年近く、いろいろ眺め読ませてもらってきたが、純文学はほとんど読めなかった。歴史時代小説、異世界転生、エンタメ、恋愛、BB、百合……怪談系…。純文学とタグ付された作品は少数派だ。

これについて「何故か」と考え及ばせてみると……
私の中、そうなるわなぁ(^^♪と妙に納得できる結論に至るのだが、よろしければ皆さんも考えてみてはいかがだろう。

 

 

話しは横道にそれるが、いまの時代、大衆小説は「エンターテイメント」に括られるそうであり、一部の考え方では芸術と呼べるものは純文学だけであり、大衆小説をはじめとするエンターテイメント作品は芸術ではないとする、天地の創造者が如き言葉を吐き出す素人物書きも目にするのだが、なんともナンセンスな物言い。こういうことを言うから差別的、優劣主義がはびこる。バロックは芸術だが、近代美術は芸術ではないと言っていることと同じだということに気付かぬものか。こういう人達には今一度プロティノス美の定義(美とは)からの読み直しをお勧めしなければならないだろう。
消化酵素の有無にすぎないはなしである。

 

 

最期になりますが、有難いことに私の作品集のダウンロードが5冊で421件に達しました。先日、404件のお礼を申し上げたのち、ものの10日ほどで17名の貴方様たちにダウンロードして頂けたことになります。遅々として進まぬ筆ではありますが、楽しんで頂ける作品が一本でもリリースできるよう精進したいと存じます。
日頃のご厚情に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

 

尚、ダウンロードせずとも無料で読めます。宜しければ一度。