イキグサレ 死シテ吾コレ ヲ見葬ル | 異端のTourism Doctrine

イキグサレ 死シテ吾コレ ヲ見葬ル

イキグサレ 死シテ吾コレ ヲ見葬ル (自由律俳句)

 

3月17日15時30分。我が実弟が59歳という若さでこの世を去った。
書きたいことは山のようにある。が、結論としては病気をしないこと_______に集約みる。病気をした者の椅子から順に取り上げられてゆくことは文化文明の新旧を問わずの話し。

結局は残念だが病気をした者の寿命ということなのだろう。
 ただ、一つ云えることは、現代においても寿命は経済力の長短によって左右されるということも明らかなる事実として承知しておかなければならぬのである。

残念だが"貧乏人"は病気をした瞬間に余計な期待は持つべきではない。貧乏人は病気をした瞬間に長生きなどという希望を抱いてはいけない。


 そう。その為には幸せというものに常日頃から真剣に向き合っておかれることを推奨したい。今の自分の身の上を幸せだと思えないから文句が口を突く。他所への恨みごとが口を衝く。妬み、嫉み、僻み、怨みが口をこじ開ける。こういう手合いは概ね「今」が、そして「未」も幸せではないのである。端的に申し上げれば不幸なのだ(笑) 気の毒である。

 簡単だ。幸せな人達にとって不幸せを感じさせるものからは距離を置くのが常道である。不幸せな人はそれぞれにとっての幸せと真剣に向き合った方がお得であるということに気付かないのだ。これが最大の不幸なのだが。


 結局、我が実弟は2月の13日入院、16日の手術から概ねひと月余りであちらに上がった格好である。ただ面白く思え、アイツらしいと思えたことは、あいつの四十九日が5月4日となるのだが、これがなんとお袋の誕生日なのである。カァちゃん大好きなアイツらしい落としどころ。

 

人間が息を引き取るシーンというものを初めて見た。
人間の呼吸が止まる最後のシーンというものを初めて見た。
最後の一息が吐いたものだったのか、吸ったものだったのか思い出せない。


ただ、あごは落ち、舌も喉の奥まで落ちていたことから今わの際であろうことだけは見て取れた。59歳。糖尿病、多臓器不全、心不全、人工透析、壊疽による敗血症と動脈硬化。糖尿病の教科書通りの最後である。

 

 さて、残された時間。わたしとわたしに縁もつ人々の幸せだけを幸せと考え、精々諦めなければならぬような病気をせぬよう、楽しんで生きたいと思うのであり、これがわたしの幸せであると思うことにした次第でございます。

 

ここにお運び頂ける皆様の幸多からんこと~心よりお祈り申し上げます。

さて~ボチボチまた書きはじめますか。