随想起抜 『出会った瞬間ギブアップ・noteクリエーター編 2 』 | 異端のTourism Doctrine

随想起抜 『出会った瞬間ギブアップ・noteクリエーター編 2 』

随想起抜 『出会った瞬間ギブアップ・noteクリエーター編 2 』

 

どうやら少しずつ戻ってきたようだ。

自分が分かっていれば良いだけであるからして、わざわざ書くまでも無いのだが、それではここのネタにならないからしてブログも書けない。それは困る。折角、戻ってきているのだから、ここから先は質より量であり、量が質を改善して行くことを祈りたいところ。

 

先日書いたクリエーター紹介原稿、随想好日 『出会った瞬間ギブアップ・noteクリエーター編 』少なくない人に読んで頂けたようであり有難い次第。まずは心より御礼申し上げます。有り難うございます。

 

 さて、他人様の作品を紹介するに第二部を書くという行為自体がわたしにしては珍しいことなのだが、今朝、4:50に目を覚まし、先日の原稿を読み直し、再度、間 学氏の『いつか見た風景』を読む。

 なんとは無しに、BGMにナット・キング・コールのBestをかけながら読んでいると……! ! ? ! なんだ ! ! エッ !

 気のせいと云われても良いのだが、Jazzとの親和性が高いのではないか。そう感じたわたしは、カウントベイシー、オスカーピーターソン、セロニアスモンクといった往年のジャズピアニストのナンバーを流しながら作品を読ませてもらった。

 

 結論として、最も親和性が高く、作品との調和が感じられたのが、ビ・バップやハード・バップとの親和性も強いことでも知られた、ヴィブラフォン奏者のライオネルハンプトンやMJQのミルトジャクソン(ヴィブラフォン)たちの楽曲だった。

 ここで薄っぺらな"ジャズ理論"を書くことは邪魔にしかならないだろうからして素っ飛ばすが、ライオネルやミルトのスタンダードを流しながら「間 学」の世界を覗き込むと実に楽しいのである。

 

間 学氏がモダンJazzやクールJazz、そしてブルースのソウルを作品に閉じ込めようとした結果であるかどうかは本人にしかわからぬことである。まして、読み手はそれを書き手に問うべきではない。昔から申し上げているが、芸とは藝とは~秘することが命である。何を感じるのか何を表現しているのか、作品のソウルは何処にあるのか_________これを楽しみ見つけ作者と繋がれたように"勝手に感じる"瞬間がダイナミズムでもある。

 

間 学氏の作品は概ね5分~7分程度で読み切れる。早い人なら3~4分で読むだろう。

概ね楽曲一曲分である。

イントロダクションからパートのリフに流れ、書き言葉にアドリブが効きだしそれぞれの主張が紡がれはじめ、イントロに戻りエンディングへと流れ込む。インテリジェンスの効かせ方がアドリブと繋がるのか。

 音楽の三要素、リズム、メロディー、ハーモニーがどの様に書き言葉として音(ね)を奏でているのか________そこは個人の感性に頼らざるを得なさそうである。

 

思い込み。好き嫌い。

どの道嗜好が支配する世界の話し。

読みたいように読めばよいのだが、わたしにとってはやっとスッキリと腹落ちを見た瞬間となった。

 

 

 ちなみに、我が実父はプロのJazzドラマーだった。昭和9年生まれ、十代後半の坊や時代から日本中の米軍基地を土佐回り。20代でやっとドラマーとしてパートを担ったようだ。

わたしが子供の頃に聞いた話では、NHKラジオでの演奏が最も格調高い出番だったようだ。わたしが小学校に入る前に音楽の世界からは足を洗ったようだが、やはり食うことがしんどかったようである。

 当然というか、わたしが物心ついた頃から聞く音楽と云えばスタンダードナンバーや、デキシー、スイング、モダン、ボサノヴァ。ほとんどオカシナ子供として育ってしまった所以か。