映画レビュー エロ事師たち・人類学入門 1966年 | 異端のTourism Doctrine

映画レビュー エロ事師たち・人類学入門 1966年

映画レビュー エロ事師たち・人類学入門 1966年

 

タイトル エロ事師たち・人類学入門

制作年  1966年

制作国  日本

原 作  野 坂 昭 如

監 督  今村正平

俺流評価 ★★★★☆

 

書いている小説の時代考証上のエヴィデンスを探していると本作にぶち当たった。

 

1966年というと私がまだ4歳程度である。

映画も白黒だった。

原作の小説はむかーし読んだ記憶がある。

吉行淳之介の作品、対談や随筆の中でも時折紹介されることがあったことから、手に取ったと記憶しているのだが、この原作を小説として仕上げたのは野坂昭如であり、野坂の小説デビュー作だったようだ。

吉行淳之介と三島由紀夫はこの「エロ事師」を随分と称賛したらしい。

手元に原作の小説も無いことから、何がそれほど良かったのかは特定することは出来ない。

どんな話であったかすら思い出せない。

映画を探すと、Amazon プライムで観られるようだったので観てみたのだが…

 

やはり良い。

とても良い。

頗るつきに良作であった。

 

中でも「鮒」がアトリビュート、レトリックとして登場するシーンが随所に散りばめられているのだが、なんとも云えなく良いのである。

 

鮒がね… はねましてん… 。あの鮒な… お父ちゃんの生まれ変わりですねん…

せやから、嫌なことがあると… あの鮒はねますねん…   

 

主人公の"エロ事師"と内縁関係の女(後家さん)との、褥(しとね)でのまぐあいの一場面。随所で鮒が効きを見せる。

 

この映画の特徴的なことは、登場人物たちの概ねが、良識や常識という価値観からズレたところで生活していることが上げられるのだろうが、そのくせ可笑しなところでデモクラートが幅を効かせるのである。考えるに、この辺りは原作を手掛けた野坂昭如の社会風刺姿勢を顕したものなのだろうが、同時に、現実と社会とデモクラートの乖離した状況を面白がったようにも思える。

「馬鹿馬鹿しいものである」と。

 

幕も終盤に差し掛かると、それぞれが分別らしきものを備えるようになる。

チンピラ風の主人公が、終幕では学者のような、職人のような気骨を備えた人間に変わり果てた様子がなんとも笑えるのである。

主人公は劇中、何度も「俺は真面目なんや」という言葉を使うのだが、これがまた効きを見せていた。

 

ネタバレになるので話の筋は書かぬが、どうだろう。

本を読むことが煩わしくない御仁であれば、一度、原作を読んでみてから映画を観ても楽しめるだろう。むしろ、お若い世代の皆さんに見てもらいたい映画だ。

価値観の多様性に気付くことも出来そうではある。

 

むかし、吉行淳之介の小説の中でも、同じようなプロット割を施した作品を読むことが出来た。あの辺の作品は、多分、野坂昭如に触発されてのオマージュの色合いも無くはなさそうだと、鑑賞後、チョイとニンマリできたことは良い時間となった。

 

しかし、ああいう時代の振り幅の広さをみると。

この時代の窮屈さというものをつくづくと考えさせられるのである。

二次創作してみると、風刺の効いた文学作品が書けそうではあるが、ここの読者の一部に見られる「四畳半襖の下張り」系原稿の読者のモラルらしきものとは相いれることは無いのは何とも残念でもあるのだが。

 

BLやらGLやらも良いのだが、例えば、褥(しとね)やら、交ぐあいやらという表現は、やはり男と女の情交表現に落ち着きをみると思えるのは、私が古いのであろうか(笑)

"あの時代"に至る風俗背景をみたとき、 白白というものであり、黒黒というものでありが存在したようだが、さて、今風に書くと怒られそうなのでこの辺りで留め置くか。