【複製】◆永久保存版・Doctrinism(教条主義)と選択機会の可視化
フ~ん♪ うんうん。お陰様で確かに良い原稿ダワ。有り難うございます。。。御礼。
以下初稿
どうやら、読んで欲しい御仁達に読んで頂けたようです♬
ここの考え方は是々非々ありき。
教条主義的ポジションとは明らかに一線を隔しています。
寧ろ、選択機会をどの様に正しく可視化してゆくか~同時に、宗教的なコンテンツを自分たちの生活に取り込めない人々を置き去りにするのではなく、そういう人々も間違えることなく選択ができる仕組みを機能させることという考え方をベースにしています。
宗教的・信仰に付帯したルールに基づいた取り組みを進めるということは、本来的には凡ての宗教や信仰に配慮しなければならないでしょう。なにか一つだけというのは明らかに恣意的なのです。そういう姿勢が後の歪みを生むのです。
であるのであれば、せめて皆が間違って選択をすることが無い取り組みをベースとすること。
それが現時点における是々非々のあり様ですね。
私は、美味しいトンカツが食べたい ! !
私は、ラムチョップの赤ワイン煮込みが食べたい ! !
さて、飯食うか(笑)
お運び、本当に有り難う。
◆永久保存版・Doctrinism(教条主義)と選択機会の可視化
さて、〇〇明子女史の原稿だが第2稿をもってしても"書き手"の立ち位置を感じ取ることは出来なかった。
ご本人がムスリム(ムスリマ)であられるのか、そうではない人間がハラールへの取り組みの難しさを解こうとしておられるのか、ここまでの原稿を拝読させて頂いた処からは判断に及ぶことは出来ない。
それは教義に対する取り扱いの難しさであり、ポジション取りの難しさが前提として存在することを知れば知るほど、この信仰を持たない人々が口にすることが出来る言葉の意味に気付かされるからに他ならないためもあろうか。
例を挙げるなら宗教上の言葉を一つとっても、それはその宗教を信仰する人々の財産であるからして軽々に、そして配慮なき儘に使用することは避けなければならず、文章を描く上においては尊重をベースとした描き様に配慮しなければならない。
世界を眺めてみるならば、これを踏み外したことによる悲しい出来事は枚挙に暇ないのだ。
ここの320本余りの原稿は、2011年の暮れごろより書き綴ってきた原稿だ。
よって学び始めた頃から充実期に至る迄の凡ての原稿が収蔵されている。
それは差乍ら"成長"の足跡と云えるべきものだ。
が、筆者がここで書き綴ってきた原稿にはベースが存在する。
ムスリムフレンドリーという持て成し側が最低限持つべきホスピタリズム、ツーリズムに根差した考え方であり、イスラームのDoctrine/Doctrinism(教条主義と教義)には踏み込まず、不可侵とするという前提が存在する。
さて、〇〇明子女史がアカデミーに身を置く研究者として、どの様なポジションから方向性を組み上げようとしておられるのか筆者にとっては興味深くながめてゆきたい次第。
ここの管理者。"今では"口汚くののしるタイプの人間ではない(笑)。
思ったことを、学んだことを書くのは自由である。
ただし、オピニオンとして、どのような立場から、何を発信しようとするかの前提を置いてきぼりにすることは研究者としての、研究者が持つDoctrinismに反するようにも思えるのである。
トルコにしろ、サウジアラビアにしろ昔はハラール認証団体というものは存在しなかった。
その前提にはムスリムが口にする物はハラールであって当然なのに、何故、認証が必要か。
ムスリムが提供するものを、兄弟たちが提供するものはハラールである~とする前提が存在した。原稿では、認証団体と認証について距離を置いた描き様となっている。
今後の展開として登場するのか、距離を置いたまま進んでゆくのか~。
しかし、1996年のアトランタオリンピックを契機として、翌年の1997年のCODEXにおいて、正式にハラールとコーシャの存在が国際的に担保されるに至った。認証化、認証事業時代の夜明けだ。
日本はこの時に国際的潮流に乗り遅れた。
機会損出。結果、未だに合理的取り組みの方向性を見いだせずにいる。
TPP環太平洋経済連携協定~筆者が云う処の、環太平洋経済連携ハラール法を根っことすることにより、既成事実として取り組みの合理性を担保したいところだろう。
国民は気付いているのだろうか。この処、イギリスに関する報道、日本とイギリスに関連した報道が増えていることを。
TPPへのイギリスの加盟だが、日本政府の意思が働いたものとして観ることはあながち妄想ではないだろう。相互利益として眺めるのであれば、日本にとってこそ利するところが大きいのだから。
まぁ、私の考え方はここに在る。
これからの道を創っていかれる人々に。
魂を置く場所を明確にしてから取り組みを始めて欲しいと願うだけの話し。
特に研究者にはそうあってもらいたいものである。
その魂を置く場所がグラウンドゼロであるならば、ゼロを深ぼらなくては主張のエヴィデンスは脆弱なまま進むことになるのではないだろうか。
知らんけど(笑)
第2稿、有り難うございました。次の原稿を本当に楽しみにしています♪
残念だけど、この分野、アカデミーが主導することは無かったからね。
みんな、ビビりばかりで(笑)
因みにここの原稿のブログタイトル・・・ちょっと前まで「異端のTourism Doctrine」だったのね。
9年ほどさ。
ボチボチ、元に戻そう ! ! それが私に相応しい魂の置き場所だ。
~了~
おかげさまで_____________________。