◆永久保存版・オリンピックは誰のもの♬ 最悪は最善に変わるのか? | 異端のTourism Doctrine

◆永久保存版・オリンピックは誰のもの♬ 最悪は最善に変わるのか?

◆永久保存版・オリンピックは誰のもの♬ 最悪は最善に変わるのか?

 

場当たり的。

私にはその言葉しか思いつかない。

凡てが場当たり的であり、エイヤッ ! ! の力技でしのいできた結果と映る。

 

論点をブワブワのまま何とか進めたい政府

論点は自分の論功としたい本人

論点を全部被って当該人事から退いた川渕氏

論点は重箱の隅と云わんばかりのメディアの対応ぶり

論点を人格問題としたい一部世論と一部スポーツマン

 

グズグズだ。どっちを向いてもベースが脆弱だ。

 

本来的には森氏は政治家だった。

政治家であるなら、根回しはつきものであったはずだ。

残念ながら、その"濁"を被り動くはずの"番頭"不在であったがために、川渕氏との直接やりとりが先行して表に出てしまった。

一般論を無視した形で、またしても横車を押した形になってしまった。

 

これ程大きな物事は正論だけでは動かない。それだけで動かせれば苦労はない。

金も動く、人も動く、利権も動く。

要は、着地の見てくれ、見栄えが良ければ結果ヨシという処は避けられない。

古かろうが新しかろうがそういうものだ。

 

川渕氏は後ろ足で砂をかけられた形だ。後ろ足の主は政府であり、世論であり、最大の責任は森氏にある。

森氏は、川渕氏にまた詫びたろう。

 

メディアは"ドタバタ劇"と揶揄しているのか。

 

大方の国民はあきれ果て、白けムードに支配されておられるのではないだろうか。

同時に、選手たちにとって関係ないところで勝手に繰り広げられるドタバタに、この爺たちだけゃ一体何がしたいのだ~

そう思っておられるのかもしれない。

このミソの付いた東京オリンピック。ある意味歴史に大きくその名を遺すのだろう。

 

始まりは、たった一人のお爺ちゃんの傲りだった。傲慢さだった。

この傲慢さはズレに気が付かないものであり、ズレを指摘するする人を近くに置かなかったことに起因する。

 

そして皆狂い始めた。政治家も狂い出した。「もっと若い人は居ないのか、女性はいないのか」

前提が狂い始めた

末期症状である。

 

そもそも復興五輪と銘打つ自体が私には違和感でしかない。

世界中のアスリートにとって復興五輪への参加に意味はあるのか。

開催国の自画自賛、マスターベーションに過ぎないのではないか。

予てより感じていた。

 

IOCはスポンサーフィーが入れば文句はない。多くのスポンサーを集めることが出来るアイキャッチは歓迎だ。

コロナに打ち勝った五輪という言葉が躍り始めた。

多くの命を失い、未だ危機的状況から脱することの出来ない国を置いてきぼりにし、言葉だけが躍る。

 

森氏を批判する人々は、森氏の人格まで攻撃の対象とし始める。

人格攻撃が相応しい案件ではない。

 

最悪だ。

皆そんなに立派なのか。

功績は人格否定にまで及ぶのか。

少なくとも、国のために尽くした犠牲ぐらいは認めるべきだろう。

誰でもなんでも言いやすくなった社会インフラのせいか。

この国、明らかに病んでいる。

ディスルウイルスが蔓延してる(笑)

 

しかしこの最悪の向こうには最善が見えている。

ただ、オリンピックの意味と開催の意味を大義として捉えた時。いつやるかではなく

どう実施するべきなのかに思いを馳せなくば、"最善"は画餅に終わる。

 

IOCも日本の組織も大人にならなければならないだろう。

どうすれば一番オリンピックの理念に近づけるのか。

 

女だ、男だは大義を矮小化しているに過ぎない。

世界のご機嫌を取るように、若手の女性を起用したところで、大義が"あれ"では国際社会は納得しないだろう。

 

~了~

 

おかげさまで_______________。