◆仮想通貨・暗号通貨と「信仰」 | 異端のTourism Doctrine

◆仮想通貨・暗号通貨と「信仰」

◆仮想通貨・暗号通貨と「信仰」

 

はいはい。ここのブログにおいては既に「焼き尽くし、燃え尽きている」感のあるお話ではございますが、別に帰って来た信仰ネタというわけでもないのであしからず。

永遠に続き、永遠に葛藤を必要とするネタであることは間違いないでしょう。

 

このブログでは、「この」信仰を持たない人々が「この」信仰を理解するためのお手伝いを出来るだけ丁寧にお伝えさせていただいてきたつもりではおります。

ことを玉虫色に染め抜くことはせず、あるがままの姿を理解していただくことから取り組むことの必要性を書かせていただいてきました。

例えばイスラーム教に示される「道」であるハラールの存在に関してもそうです。

巷ではまるで健康食品が如き流布がまかり通り、行政の取り組みでさえ、ハラールへの取り組みを「ヘルスツーリズム」という切り口から可視化を進めるという極めて「無知」または「確信的解釈の歪曲」と言わざるを得ないミスリードも甚だしい取り組みすら見受けられる始末。

 

ことを玉虫色にすることなく、正面から受け止めなくては課題は見えてきません。

課題に対して取り組んだ結果の「確かな存在」であり、そのためのロードマップは作ることなど叶わないのです。

存在をご都合主義の玉虫色に染め抜くことは取り組む人々にとっては取り返しのつかないジャッジになる危険性や機会損失を秘めています。またこれらの信仰を持たれる人々にとっては結局のところ判断に足りる情報を得ることが出来ない状況となる可能性すら否定でません。

 

ここではイスラームという宗教が「仮想通貨・暗号通貨」に直面していることを物語る二つの記事を紹介しておきましょう。

過去数年間にわたり書かせていただいてまいりましたここのブログを通じて眺めた時、「この」宗教と仮想通貨・暗号通貨の関係性に疑問が沸いても不思議ではありません。

それぞれの「法」に、仮想通貨・暗号通貨の理論を溶かしきることは可能なのか。

「仮想通貨」というある種の「偶像」をこの宗教の中に溶かし込むことは可能なのか、そんな疑問が出てきても不思議ではないでしょう。まぁ「仮想通貨」という言葉自体日本語としての存在感ですから国際社会においての認識が、文字通りの仮想通貨ではないという理解は前提として必要なのですが。

 

https://innovation.mufg.jp/detail/id=196

同時にここでの記事のタイトルを読めばご理解いただけるように「現物裏付け仮想通貨」という言葉が使われています。

さて、本来的な仮想通貨の考え方であり存在からするのであれば、この「現物裏付け」という言葉が仮想通貨に相応しいのか? という疑問が出ても不思議はないわけです。むしろ「現物裏付け暗号通貨」とした方が理解を進めやすいのではないでしょうか。

同時に一つのハードルとなる考え方が「ICO」だと言えるでしょう。

BittrexやPoloniexという世界のメジャーな取引所への上場がロードマップとして存在しているようです。

 

いよいよイスラーム金融も新たな時代に入ることを予感させる記事となっているのですが、さて・・・。

 

他方・・・

https://cointelegraph.com/news/central-bank-of-indonesia-warns-against-all-cryptocurrency-use-cites-high-risk


残念ながら英文でのアップであることを容赦していただきたい。

要約させていただくならば、インドネシア銀行が「ビットコインをはじめとする仮想通貨・暗号通貨」の存在は非常に危ういものであり、これらは合法ではないという態度を明確に表明した。

背景にあるのはバブルリスクに対する懸念、匿名性の担保によるマネーロンダリングとテロ資金調達の危険性にさらされている現状は、国内の金融システムの安定性に影響を与え、社会に金融危機を引き起こす可能性を喚起している。

 

今のところ法的背景を伴った禁止措置までは進んでいないようだが、注意喚起からは一段進んだ扱いとなっているようだ。

エジプトのイスラーム教最高指導部ではマネーロンダリングやテロ資金撲滅という姿勢から「ビットコイン」の存在はシャリア法に違反していると、この年頭公式にファトワを宣言している。

 

さて、一見対極に位置する価値観のようにも見えるこの二つの記事。

真に対極なのか、それとも交わり、変化を遂げる過程における通過儀礼であるのか___________遠くから見守っていく必要はあるのではないだろうか。

 

 

~了~